寺坂(板橋区小豆沢)
魚籃坂を下っていく。坂の右手(東側)に急勾配で上る坂がある。名前はないが「全力坂」では小豆沢四丁目の坂という名で何度も登場している近年の名坂である。この道が地図に載っているのは昭和の中期から。 勾配は魚籃坂との相対で強調されているが名坂である。
この小豆沢四丁目の坂を上るとその先には小豆沢神社がある。 康平年間(1058~1065)の源義家の勧請というのが伝わる起源。 小豆沢村の鎮守として親しまれてきた。御神木のスダジイは幹が空洞化して傾斜しているがまだ健在の区指定天然記念物である。狭い路地だが神々しいオーラがある。
小豆沢神社の周辺は十二の入江があったため、江戸時代には十二天社と称して、小豆沢村の鎮守社であった。明治2年(1869)に小豆沢神社と改称。 もうすぐ千年という古い神社であることは確かである。
東隣の龍福寺は、室町時代末に袋村(現北区赤羽)の真頂院の僧運珍が隠居寺として創建したといわれており、建長7年(1255)以降の数多くの板碑や、小豆沢地名由来の伝承が残されている。当寺薬師堂の本尊薬師如来は、当寺北側の御手洗池から出現したと伝えられている。 龍福寺の東側から寺坂はカーブを描きながら下っていく。
御手洗池は崖下の公園にある小さな池。江戸時代には富士講の信者たちが旅立ちの前にここで禊ぎをしたと伝えられる。
寺坂は龍福寺や小豆沢神社のある台地から下る坂。この先の荒川(新河岸川)には,江戸時代から舟運で栄えた小豆沢河岸(別名大根河岸)や,対岸の浮間とを結ぶ浮間の渡し場があった。坂は崖線の巨樹の間を下っていく。 途中のケヤキも優に200年は経っている巨木である。
Photo:2018/9/18
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