岩の坂(板橋本町)
中山道は江戸五街道のひとつ、江戸と京都・大阪を往来する東海道が川に阻まれるのに対して、比較的スケジュール通りに歩けた中山道を使う旅人も多かった。 女性が多く利用したので別名姫街道とも言われた。 現在も国道17号線と並行して付いたり離れたりした旧街道が残っている。
板橋宿に入る手前、平尾追分で川越街道と分かれた中山道は板橋宿の半ばを過ぎると石神井川を渡る。 ここに架かるのが板橋。 板橋の地名は鎌倉時代に始まる。 ここの橋は板を渡しただけの粗末な橋でそれが板橋の由来という説がある(諸説あり)。 この板橋を渡ると緩やかな上り坂になる。 これが岩の坂。
かつて坂の左側に榎の大木が聳え奥に第六天社があった。今は反対側に移され縁切榎と呼ばれる人気の社になっている。昔は坂の両側から覆いかぶさる樹木により昼なお薄暗く不気味な坂であったので「いやな坂」が訛って「いわの坂」と呼ばれた。 これが岩の坂の由来のようだ。 江戸時代にはこの辺りは水茶屋のような風俗っぽい店が多かったようで、そっちの歴史の方も掘り下げると面白そうである。
縁切榎の歴史の中で、幕末の皇女和宮が江戸幕府第十四代将軍家茂の正室となった時に中山道を京都から江戸まで降嫁の行列で向かった。 行列の長さは50㎞もあったという。その行列がこの縁切榎を避けて迂回したという話が残っている。 板橋あたりの石神井川は流れを直線化したもので、板橋の位置も昔は少し江戸寄りだった。 橋の脇に残っている細長い公園がかつての川跡。 江戸から板橋を渡ると岩の坂を上って、そこからは前野村に入る。
Photo : 2018/4/1
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