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2018年10月11日 (木)

ばんち坂(板橋区小茂根)

小茂根は小山町、茂呂町、根ノ上町をまとめて出来た1965年以降の町名。その中の茂呂町は江戸時代には上板橋村の一部。茂呂は毛呂とも書いた。従って茂呂山坂でもよさそうなものだが、ばんち坂という呼び方は意外性がある。

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この毛呂山通りの先は岬とその先に浮かぶ島のような地形になっている。手前の岬に下る坂道がばんち坂である。 その由来は板橋区の資料によると、坂の東側一帯の山は茂呂公園といい、昔は「ばんち山」といわれた。この山の持ち主であった山上氏の先祖は、江戸城の警護衆が住んでいた番町から来たという。このことからこの山を「ばんち山」と呼んだと思われる。 江戸時代のこの辺りはすこぶる田舎である。 何か事情があって都心から引っ越してきたのだろうが、村人からすると公家が引っ越してきたようなものだったのかもしれない。

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坂は直線で勾配はそこそこある。自転車ではきついようだ。上野写真の樹木が繁るところが茂呂山公園。 公園全体が丘の上と斜面になっていて、地元では桜の名所らしい。 このばんち坂を語るのに、この坂の部分だけでは十分ではない。

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それはこの坂の下から再び小高い小さな丘を乗り越える部分である。 そこには茂呂遺跡という石碑と説明板がある。 日本の考古学上きわめてシンボリックな場所なのである。

オセド山と呼ばれるこの独立丘陵は、昔から縄文時代早期の土器破片が多く出る場所として知られていた。昭和26年、ここを通りかかったある中学生が、この栗橋新道の切通し断面の関東ローム層(赤土)中より、黒曜石製の石器と礫群の露出を見つけた。

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この発見が元で、その年に明治大学と武蔵野郷土館が共同で、関東ローム層中に残された、旧石器文化(先土器文化、岩宿文化とも呼ばれる)の発掘調査を行った。その結果茂呂型ナイフと呼ばれる特徴的な石器の存在が明らかになり、日本の旧石器文化研究の端緒となった岩宿遺跡(群馬県)と並び、考古学研究史上特筆される成果が得られた。

最初の発見者である中学生(瀧澤浩くん)はのちに考古学者となったというのも微笑ましいストーリーである。

Photo:2018/4/8

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