山の坂 (板橋区大門)
都営地下鉄三田線の新高島平駅から南に下り、首都高速5号池袋線をくぐるところが高島大門の交差点。そこから南に弧を描いて上るのが山の坂。 このみちと首都高速および大宮バイパスに囲まれた三角地帯が大門という地名。 東側には縄文時代から人が住み続けてきた沖山遺跡がある。 沖山の塁という土塁跡は戦国時代の城跡という説もある。
大門の由来は戦国時代の城への門だとか、赤塚の古刹松月院の山門があったとか諸説がある。何千年も人が住んできた土地なのである程度以上昔のことは分からない。ただこの大坂が現在の姿になったのは昭和の中頃。やはり荒川低地から赤塚の台地へ上る道として小さな谷地に通された農道が広げられたものである。昔は坂の途中から分岐する観音寺坂の方がメインルートだったようだ。
山の坂は台地の上まで20m近い高低差を上っていく。坂上には諏訪神社があり、その脇に「山の家」と呼ばれた田中家があったのが坂名の由来という。 おそらく現在の道筋とは上部は重なり、観音寺坂を合わせたあたりからはもっと西側に道が付いていた。 昔は松月院と諏訪神社がこの地の中心で、松月院は戦国時代の千葉一族の支配時代から栄えた古刹。徳川幕府の時代には40石、15,000坪の御朱印寺という大きな寺だった。 諏訪神社も千葉氏に関わる神社で、諏訪大社を勧請して15世紀に創建されたもの。
千葉氏はここから大宮バイパスを挟んだ赤塚に根城を持っていた戦国大名で、それ以前は関東全体を支配するほどの勢力を有し、千葉県の県名の由来となったほどの関東の名族である。
photo : 2016/11/6
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