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2018年10月 9日 (火)

地蔵坂(板橋区大谷口)

えんが堀はいくつかの細流を集めて石神井川に注いだ小川。 源頭のうちの大半は千川上水の水が地下を通って湧水となったものと言われるが、その支流のひとつが有楽町線千川駅のある要町三丁目交差点の北側の湧水から流れ出ていた。 現在は大谷口ガーデンマンションD(大谷口2-35-13)になっているところに湧水の池があったが埋められた。しかし現在もマンション前の坂の下に暗渠がある。向原団地前でえんが堀と合流。 そこは地蔵坂の坂下にあたる。

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地蔵坂の由来は坂の途中にあった地蔵堂による。 坂上の辻には2基の庚申塔があり、左が延宝5年(1677)、右が貞享2年(1685)と相当古いもの。 時代に対して大変保存状態のいい庚申塔である。

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この坂道に民家が建ち始めたのは昭和中期で、それ以前は切通しの寂しい坂道だった。 この道は江戸時代からある古道で、現在の大山(当時は下板橋宿)から氷川台(当時は下練馬村)への主要道で、坂上には真言宗の西光寺がある。 西光寺は1650年代に開山した古刹で、坂の途中にあったというしろかき地蔵(苗代地蔵)が保管されている。

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西光寺のしろかき地蔵の民話は当時の風景に導いてくれる。

その昔、大谷口村に信心深いお百姓さんがいた。村一斉の田植えの前の日、お百姓さんは一所懸命代かきをして間に合わせようとしたが、薄暗くなってもまだ半分も終わらない。途方に暮れていると、どこからともなくお坊さんが近寄ってきて、やさしく話しかけてくれたかと思うとついぞどこかに消えてしまった。

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諦めたお百姓さんが翌朝田んぼに来てみると、広い田んぼはすっかり代かきが終えられて、朝日が田んぼに反射して輝いていた。びっくりしてあたりを見回すと、田んぼの泥が点々と田んぼから丘の草原に続いている。泥の跡を辿ると丘の上の小さなお堂にまで続いていた。不思議に思い、お堂の扉を開くと、お地蔵様の体は腰のあたりまで泥だらけだった。

そのお地蔵さんを見て、300年前の人もこれを見てうなっていたんだと思うと、何とも言えないものがあった。

Photo:2018/4/8

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