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2018年11月 9日 (金)

六郎坂(大田区仲池上)

仲池上1丁目の呑川の河岸段丘(左岸)にある坂で、大尽坂と八幡坂の間にある。坂下で丁字路になる道は、大尽坂下の庚申塔から続く道で、洗足・中根を経て杉並区堀の内まで行く古道。 六郎坂下のこの古道沿いには昭和中期まで川が流れており、丁字路にあった「六郎橋」を渡って六郎坂の上りになっていた。

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六郎坂、六郎橋の由来は、江戸時代後期に池上村のために尽くした海老沢六郎左衛門の屋敷が坂に沿ってあったからだという。 戦前までの呑川流域は大部分が田畑で、六郎坂付近も屋敷森に囲まれた数軒の農家が坂の東側にだけ建っていて、坂の西側(谷側)は畑という、のどかな農村風景だった。

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八幡坂との間にある林昌寺は文亀3年(1503)の開山という古い日蓮宗のお寺。 隣の子安八幡宮は康元元年(1256)の創建で池上の鎮守。相当昔から呑川の流域に人々が暮らしていた。 呑川は現在は汚い川だが、もともと飲み水の川の意の呑川でとてもきれいな川だった。 したがって六郎橋の下を流れていた呑川の分流も澄み切った水の川だったのだろう。

海老沢六郎左衛門について調べてみたがよくわからない。坂下の水路(川)は呑川に注ぐ支流だった洗足流れ(洗足池から下る)と鸛の巣流れ(夫婦坂から下る)を集めて、呑川左岸の池上村の農地を灌漑していたので、それに尽くした人なのだろうか。六郷用水の資料は沢山あるのだが、そこから外れるとほとんど資料がない。

江戸時代以前は農民の争いと言えばまずは水騒動(水の奪い合い)だった。あとは普請(工事)の負担に関するもめ事くらいで、江戸時代には水を原因とする多くの争いの記録がある。 おそらくは水関係の人だったのだろう。

photo : 2017/2/26

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