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2018年11月21日 (水)

洗足坂(大田区南千束・上池台)

洗足坂は中原街道の坂道です。 洗足池前から洗足坂上まで高低差13mを340mかけて上ります。 勾配は4%と大したことはありませんが、昔からの街道についてはほとんどの坂が勾配を緩やかにして拡幅されているので、ここも人馬の通う街道の時代はもっと急だったはずなのです。

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坂の途中に東京都が設置した銅製の説明板がありました。 かすれて読みにくいタイプですが、ここのものは比較的傷が少なく、次のように書かれていました。

「この道(中原街道)は、江戸から平塚の中原に通ずる街道で、江戸期には、東海道の脇往還としてさかんに利用された。明治期以後も産業の発達に伴い、東京への物資の輸送路として大きな役割を果たした。しかし、このあたりは坂が多く、重い荷車は難儀をした。昔の洗足坂は道幅も狭く、現在の坂より短い急な坂であった。大正12年になると道路が改修されて、ゆるやかな坂となり、その後さらに拡幅されて現在の道路となった。坂の下には、その改修記念碑がある。」

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洗足池は日蓮上人がここで足を洗ったのでそう呼ばれるようになったという説があります。また元からの地名は千束で、それが日蓮宗の言い伝えにより、洗足に変わっていった可能性が最も高いようです。

この洗足池からは洗足流れという呑川の支流が流出しています。 しかし元々は自然池ではなく、人工池で平安時代に沢を堰き止めて出来た灌漑用の池でした。

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池の東側には勝海舟夫妻の墓があります。 勝海舟はこの池の風趣を好んで、湖畔に別荘「洗足軒」を作りました。

中原街道は江戸から平塚の中原に通じる道のため中原街道の名が付いたのが由来です。 東海道よりも古い中世の街道で、現在の地名で言うと武蔵小杉、下川井を経て平塚の中原までが中原街道とされています。 江戸時代に東海道が整備されると、脇街道となりましたが、もともとは中原街道が東海道の役割を果たす街道でした。

photo : 2017/1/15

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