藪の坂(板橋区赤塚)
赤塚城址の南側は谷地形である。 千葉氏がこの地を主城に選択したのは自然なことで、赤塚城址は南西の角を除いてはすべて崖になっているからである。 四方が天然の要害になっている場所は城跡である場合が多い、逆をいうとそういう場所に戦国時代は城を築いている。その谷に降りられる細い階段道があって、宅地の造成跡があるのだが接道していないので段々畑のような空き地のままになっている。 そこで猫としばし戯れた。
この谷に南にある東京大仏側から下って再び上る薬研状の坂道が藪の坂である。高さ13mの青銅製の大仏はその名も東京大仏だが世間には知られていない。 昭和52年の建立なのでそれも致し方ないだろう。 乗蓮寺は大仏建立の数年前に仲宿から赤塚へ移転したものの、江戸時代から続く寺院である。
この辺りは谷底の竹藪笹藪だったようで、道の両側に深く生い茂る笹藪を由来として藪の坂と呼ばれるようになった。 今は多少の緑は残るものの、ほぼ民家に囲まれた細道坂となっている。 辺りは明治以前からバラパラと民家があった地域で、小字を石成という。石成村はのちに成増村と名を変えたという説がある。この辺りから西側が石成だった。
坂の南側に赤塚植物園がある。 武蔵野の面影を色濃く残した丘陵地の植物園で、昭和56年(1981)の開園。 先を急いだので園内には立ち寄らなかったが、次回はぜひ入ってみたいと思う。 9:00~16:30開園で無料である。月曜と火曜は閉園であることが多い。
photo : 2016/11/6
<追記>
近年石仏探訪をしていて藪の坂の場所が間違っていたことに気づいた。上記の坂は東京大仏のある乗蓮寺の裏手の坂道で、公園内の階段を下ると赤塚不動の滝に出る道筋だが、正しい藪の坂は一本北にあるセブンイレブンと麺処ひびき庵の間を西に向かって上る坂道である。
上の写真は坂下。右の階段は赤塚城址へ登る階段で、車道を進むと正面の家の先から上りになる。北側はずっと赤塚城址の斜面で藪といえば藪っぽい。
坂上では城址と集落から下ってくる道が合流する。昔はひどい笹藪で、それが名前の由来だという。足掛け5年でやっと気が付いたミスである。これまでお読みいただいた方にはお詫びしたい。
再訪 2021年4月23日
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