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2018年11月19日 (月)

庄屋坂(大田区上池台)

貝塚坂(旧学研通り)に接続する直角の坂の中で最も上流(北東)にあるのが庄屋坂である。 鸛の巣流れはこの辺りまでくると、学研通りから西にズレる。 そのためにバス通りから庄屋坂を見るとまるで薬研坂のように見えるのである。

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谷底あたりに右から左へ昔は小沢が流れていた。そのため実は手前の下り坂の勾配も庄屋坂に迫る急さである。 しかし昭和初期の耕地整理以前は学研通りはなく、東の尾根に旧目黒道、谷沿いには細い農道が通っていた。 ところがそんな古い時代にも東西の尾根筋から下って上る坂が古い地図には描かれている。 その最も上流の道がほぼこの庄屋坂に重なっている。

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坂の上下に木製の標柱がある。「坂の付近に、昔から庄屋の家があったと伝えられることから、この名がついたといわれる。」と書かれている。 その庄屋の名前や場所については大田区の調査でもわかっていないようだ。

現況はというと、急勾配を形成した鸛の巣流れはこの坂に達すると暗渠が消える。六郷用水関連の資料では鸛の巣流れはここからは道沿いにカクカクと曲がり上池台射水坂公園あたりが源頭と考えられる。

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上池台の地名の由来について調べてみた。 仲池上、池上、とあるが下池上と上池上がないなど、地名の疑問は尽きない。

洗足池をはじめとする多くの湧水池がありそれで池上という地名が生まれた。日蓮上人に仕えた池上氏もその地名由来の氏名だろう。 その「池上」というブランドを使いたいところだが、昭和43年(1968)の町名変更で上池上にしたい住民の反対を押し切って、上池台に決まってしまった。

「上池上」は江戸時代には上池上村という地名もあり古いもので、地域も上池台よりはるかに広かった。それを知っている関係者がここは台地の際だから「台」を使って上池台と決めたのではないかと思う。しかし今になってみると「台」が付くことで高級感が増す時代になってしまった。 とかく東京では「丘」「台」と付くと、自由が丘、麻布台、白金台、高輪台などを連想する人が多いのだろう。 ただし、そういう場所の大半は、江戸時代はド田舎である。時代変われば価値観も異なる。過去を知ることは未来を知ることに繋がる。 そういう点でも街歩きは面白い。

photo : 2017/11/3

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