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2018年11月15日 (木)

稲荷坂(大田区上池台)

環七通りの夫婦坂交差点から南へ下ると貝塚坂、その坂下にスーパーマーケットのライフがあるが、ここは以前学習研究社(学研)の本社だった場所である。 昭和30年代生まれの人は学研のおばちゃんが学校に月間の『科学』と『学習』という児童雑誌を販売に来たことを記憶している方も多いだろう。 ここには昭和32年(1957)から2008年まであり、その後組織再編して五反田に移転した。このライフの交差点にあるバス停名は「稲荷坂」。ここから南東に上るのがその坂である。

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稲荷坂はほぼ直線の坂。 125mの距離で12m上るのでおよそ10%の勾配。 坂が開かれたのは昭和初期の耕地整理によるが、それ以前から坂上一帯には民家が多く、いくつもの農道のような坂はあったらしい。夫婦坂を通って池上に抜ける目黒道が坂上を南北に走り、南に行くと猿坂に至る。

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坂上近くには児童公園もあり、稲荷坂を覆う樹木がかつての農道時代の雑木林に囲まれた景色を想起させる。 坂下と公園前に標柱があり、次のように書かれている。

「坂上の上池台5丁目14番の南側角地に、玉倉稲荷という上谷戸(かみやど)の稲荷神社が祀ってあるので稲荷坂と名づけられたという。この坂道は耕地整理により出来たといわれている。」

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玉倉稲荷の場所は坂道から少しだけ離れている。 このことから推察すると、元の農道はくねりながら稲荷の近くに上っていたのではないか。 稲荷坂の南に途中で曲がった坂道があるが、そっちが主要農道だった可能性が高い。明治時代の地図を見るとこちらには道が描かれている。 そしてそのまま坂上は玉倉稲荷に通じるのである。

いささか気になるのは、岡崎清記氏の『今昔東京の坂』には、「坂上に玉倉稲荷の祠があり、その一角だけがこんもり茂っている。」とある。今はそんな様子はないのだが、かつての稲荷はもっと大きな敷地だったのではないだろうか。 稲荷の路地に家が建ったのは戦後、しかし昭和20年代でも周りは数軒の民家とあとは畑が広がっていた。 その頃はまだ稲荷の周囲には林があったようだ。

photo : 2017/5/3

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