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2018年11月 6日 (火)

番匠免の坂(板橋区赤塚)

番匠免という名前は珍しい。 ここ以外では埼玉県三郷市に番匠免という地名がある。番匠免というのは、「番匠」は大工を指して言う呼び名。「免」は免田=免税の田んぼ。また番匠免を「ばんしょうめ」と読んで王朝時代に諸国から京都に交代勤務した木工の称号という意味もある。 いずれにせよ木工や大工という意味。

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赤塚中央通りの大堂の坂を下りきり、写真の暗渠が残る前谷津川に架かる橋本橋を渡って南下すると再び道は上りになる。 これが番匠免の坂である。 この辺りの地名も以前は旧小字が番匠免であった。

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かつて広大な寺であった大堂を建てたり、維持にあたる番匠(大工)が住んでいた。 大工たちは租税を免除されていたという。 それでこの辺りを番匠免と呼ぶようになった。 坂上辺りの古い地名は地蔵塚。 元は篠崎家という家の守り神として祀られていた地蔵尊があった。 地蔵の前は普通の塚だったらしい。 そこに元禄12年(1699)に地蔵尊が建立され、嘉永2年(1849)には庚申塔も立てられた。

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篠崎家は現在マンションになっているが、その脇にひっそりと地蔵堂が残っている。その名は元塚地蔵尊。 これは後に赤塚中央通りが拡幅されたときにできた地蔵で、元の地蔵尊は松月院へ、庚申塔は大堂に移設された。 そう古くない言い伝えがある。

かつてここの家主が交通事故に遭い、ムチ打ちになって首が回らなくなった。その治療をしてくれた人から、「お宅に地蔵がなかったか?今そのお地蔵様は首がなくて困っていらっしゃる」という話を聞いた。 松月院に行ってかつての地蔵を見ると、なるほど首が欠けて立てかけてあった。首を作り直したところ、自分の首も治ったという話である。 そう昔の話ではないだけに、いささか疑問はあるが面白い。

photo : 2016/11/6

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