東京23区の坂道を振り返って
年の瀬である。ようやく東京23区の名のある坂を網羅できた。 地形と遊ぶのは面白い。 NHKのブラタモリが高視聴率を得ている。 地形学、地学、地質学などが陽の目をみることになり、これはタモリ氏の貢献は極めて大きい。
最初のブラタモリは明治神宮から始まった。明治神宮内の御苑から流れる水路が、原宿駅をくぐり竹下通りへ。 少年少女の足元を流れたのちブラームスの小径を流れ、そのところどころに痕跡を覗かせるのを見つけて、タモリ氏と涌井氏が喜ぶという、きわめてマニアックな初回であった。
その少し後、私は山野勝氏の本に出会った。 それ以前から暗渠や水線を歩くのが好きで、代々木八幡・参宮橋の「春の小川」などを辿って楽しんでいたが、谷があれば丘があり、その間には坂道がある。 この坂道を歩いて見るのも面白そうだと思った。
地形(土地の記憶)は隠しきれないものだが、東京の開発は大規模なものが多く、地形すらぶっ壊してしまうものが出てきた。 近年では玄碩坂を葬った六本木ヒルズ開発がその例だし、間もなく麻布台1丁目の大部分を占める我善坊谷を埋めてしまおうという森ビルの計画が進んでいる。
上の写真はその我善坊谷を三年坂の坂上から眺望したもの。 崖上の歴史ある逓信の建物もなくなりそうである。東京は江戸時代から、丘に身分の高いものが住み、谷にはそれを支える庶民が住んでいた。出世すると標高も上がっていくようなところがあった。
坂は東京(江戸)の文化の骨格だと思う。 タモリ氏はいつも「キワが面白い」というが、キワというのは土地の骨格であり、そこが変わると土地全体の性格が変わるのである。そこには数多の物語がストラタ(地層)の如く積み重なり、掘ればいろんなものが出てくる。
838坂を歩き終えて、埋もれたものが忘れ去られることは、祖国が無機質な、冷たいものになっていく原因だと思うようになった。タワーマンション、高層ビル、商業施設、どれもうたかたの消えゆく泡である。 土地の記憶という生き物を、表面だけ取り繕った文明で覆ってはいけない。
自分にできることは、その土地の記憶を書き留めて残すことかもしれないという思いと共に幾多の坂を上り下りしてきた。 その記憶を何度もオーバーライトするために、これからもまた上り下りするのだろう。
2018年12月30日
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コメント
初めまして。
突然のコメント失礼します。
雑誌の撮影で使用してた坂道を探しております。
ずーっと探しておりますがヒントがなー
難しくて探せません💧
ぜひお力をくださいm(_ _)m
↓下記はツイッターに飛びますのでそこのお写真を参考に宜しくお願い致します。
https://mobile.twitter.com/ara_ka_shi/status/978386886463930368
投稿: お力ください! | 2019年7月 5日 (金) 01時12分
コメントありがとうございます。う~ん、難しいですね。基本的に名前のある坂を回っていたのですが、写真の背景を見る限り昭和年代に開発された中規模マンションのある短い急坂という情報しかわかりませんねえ。
右側のレンガタイプは平成以降にはほとんど見られないので、渋谷川(古川)流域の都心部の可能性が高そうですが、世田谷の多摩川近くの国分寺崖線にもこの手の古めのマンションは沢山ありましたから、成城学園~田園調布の線も可能性はあるかと思います。
滑り止め舗装の道と横の道が逆L字なのか、丁字路なのかが分かれば少し絞れるかな、という気はしますが、写真からだけでは私にも特定は難しいです。
お力になれなくて申し訳ありません。
投稿: ぼのぼのぶろぐ管理人 | 2019年7月 5日 (金) 08時34分