おさる坂(練馬区貫井)
練馬区貫井は旧上練馬村の小字。 昔、弘法大師がこの地を訪れ、水不足に苦しむ村人たちの様子を見て、持っていた杖で地面を突いたところ泉が湧き出したという伝説があります。地面を貫いて井戸を出現させるたので「貫井」となった訳です。 もっとも弘法大師は日本全国で杖で地面を指して、水や温泉を出現させています。 本職は鉱山師で水銀などを探していたといいますから、ダウンジングで探し当てたとか(は冗談です)。 しかしあれだけの天才になると、すべてが本職でどれもが卓越していますので、いろんな才能を発揮したのでしょう。
貫井にはいくつもの坂がありますが、どれも無名で、名前があるのはこのおさる坂くらいです。坂下は石神井川の道楽橋。 名前が気に入りました。流れの対岸である北側には高松八幡神社があります。 この道楽橋から南にくねりながら上っていくのがおさる坂です。
坂の高低差は6mほど、以前この坂には草に埋もれた二基の庚申塔がありました。 庚申塔には三猿など猿が描かれているのもが多く、それがこの坂の名前になったのではないでしょうか。 ところが日本人は言霊を信じる民俗で、祝儀の花嫁行列はこの坂を通ってはならない、なぜなら「さる=去る」で縁起が悪いからという村の決まり事になりました。 離縁されては困るということです。
この道は古くは清戸道と言われる道で、文京区の関口辺りから清戸(現在の清瀬)に繋がる街道でした。清戸道はほぼ目白通り沿いを東西に走っていた道です。練馬の村々の人々が江戸に出るのには最も便利な道だったので、早朝から作物を運ぶ農民が行き来していました。当時の道は現在の目白通りからこの坂辺りで北に方向を変えていたようです。
坂上に円光院という古刹があります。正式な名前は南池山円光院貫井寺。 天正13年(1585)の開山です。 古い石碑や地蔵が沢山ある寺で、門前から門内へこれら石塔石像を見て歩くだけでも手ごたえがあります。子ノ聖観世音が御本尊ですが、馬頭観世音として有名で、街道沿いの寺だからこそといえます。 本尊は12年に一度子の年、子の月、子の日に御開帳されます。 寺の建物は戦災に遭っており、昭和38年に建替えられたものですが、往年の雰囲気は再現されているのではないでしょうか。
photo : 2018/11/8
| 固定リンク | 0
コメント