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2018年12月29日 (土)

大木戸坂(新宿区四谷)

靖国通りの富久町西交差点から南に下る都道418号線は一旦下ってから、再び上りになり新宿通りの四谷大木戸前である四谷4丁目に至る大通り。 ここは通称外苑西通りで、富久町で計画道路が切れている。しかし少しずつ部分開通しており、環状4号線として富久町以北も延伸事業中。できるのは何十年先か分からない。

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この道は戦前から幅の広い道だったようだが戦前の地図を見ると道幅が一定ではない不思議な道路である。 一番低い場所の交差点が「大木戸坂下」交差点。 実はここで斜めに交差している道が古くからの道である。江戸時代は、御苑の大木戸門から北に麹屋横丁(きくやよこちょう)という通りがあり、大木戸坂下で外苑西通りを越え、富久町に下ってから東へ市ヶ谷方面に繋がっていた。
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坂下から富久町西交差点を望むとそこそこの傾斜を感じる。4mほどの高低差がある。大木戸坂はこの区間を指すのだが、四谷4丁目交差点に向かっては薬研状の坂道になっている。 この窪みがなぜ出来たのかは、瓶割坂で出てきた紅葉川に起因する。

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標高は富久町西が32m、坂の低い部分が26m、そして四谷4丁目が33mである。 紅葉川は新宿御苑の玉藻池(最も東側の池)から北に流れ、大木戸坂下から富久町交差点に流下、そこで北から流れてきた饅頭谷を合わせて東へ流れ市ヶ谷で外堀に注いだ。 饅頭谷は現在の富久さくら公園とイトーヨーカドーの間辺りから、富久町交差点に向かって流れていた沢筋である。関東大震災以前の地図にはまだ水線が残っている。

富久町交差点に成女学園があるが、その入り口に小泉八雲旧居跡の説明書きがある。ここには明治中期に5年間住んだ。この辺りは当時自然の豊かな地域だったが、開発が進むと小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は西大久保に転居したという。西大久保というのは、現在の区立大久保小学校の辺りで、現在は小泉八雲終焉の地として石碑と説明書きがある。私が中学生の時に読みふけった怪談物が懐かしい。

photo : 2018/12/28

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