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2018年12月17日 (月)

広坂・お見合い坂・秀五郎坂・長坂(上井草)

上井草碁盤坂の第2弾、すみれ坂西隣、井草向山公園を挟んだ通りが広坂である。 坂名の由来は道幅が広いからだとのことだが、実際は5m道路で決して広い道とは言えない。 とはいえ路地としてみれば広いといえるかもしれない。

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広坂は短い坂だが、西隣のお見合い坂は比較的長い坂。 というのもお見合い坂は坂の真ん中が暗渠との交差場所で、北向き坂と同じように下って上る薬研状の坂道であるためにとても長く見える。 井草川の暗渠より南側は昔は瀬戸原という字名。 今もまだ、南に瀬戸原緑地という小公園が残っている。

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お見合い坂の坂名の由来は、坂の形が薬研状の為、向こうから来る人とこちらから行く人の顔が見えることから付けられた。 北向き坂とこのお見合い坂は比較的早めに開かれた坂で、大正時代の地図には道が描かれていた。 耕地整理以前からある農道だったのだが、当初からまっすぐな道筋だったから、耕地整理初期のものと考えた方がいいかもしれない。

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その西側の坂はバス通り。 坂の名前は秀五郎坂という。 北に進むと下井草駅の踏切を越える道になる。 昭和10年の井草村による耕地整理を主導したのは当時の村長の内田秀五郎という人であった。 その人に因んで秀五郎坂という坂名になった。

内田秀五郎氏の足跡は近辺に多く、80年前にすでに都会化への環境悪化を懸念しそれをコントロールすることを考えた先進のリーダーであった。 善福寺公園に秀五郎氏の像がある。

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秀五郎坂の西隣は長坂という坂で、名前の通り長い坂。 この道も遠くまで望める坂である。

坂好きとしては、耕地整理後のまっすぐな坂よりも、江戸時代から続く時代を重ねた坂の方が魅力的なのだが、碁盤坂周辺には大正時代以前にあった道は全くと言っていいほど残っていない。 その中で井草川の暗渠道だけがくねくねと走っていて、魅力的な印象を与えている。

photo: 2018/11/23

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