渡邊坂(新宿区天神町・中里町)
神楽坂の早稲田通りがヘンテコな曲がり方をしている交差点が牛込天神町。 このカーブ部分とそこから北方向へ下る坂道は地蔵坂だが、途中から渡邊坂に名前を変える。 坂の途中には何の区切りもない。 坂は北野神社の参道辺りで水平になる。
数十mの距離に地蔵坂の標柱と渡邊坂の標柱があるのに坂は同じ坂という紛らわしいところだ。 坂を下ると山吹町のバス停だが、その辺りを昔は小川が流れていた。 その手前(南側)に渡辺源次郎(源蔵)という千石の旗本の屋敷があったので、渡邊坂と呼ばれるようになった。
江戸時代の道は山吹町に下る手前でクランクになっていたので、それより下を渡邊坂、上を地蔵坂と呼んでいたのだろう。
緩やかな坂である。渡邊坂の部分の高低差は2m、地蔵坂部分は傾斜があって8mほど高低差がある。地蔵坂上は矢来町。 小浜藩10万石酒井家の下屋敷があり、39,000坪の屋敷内には素晴らしい庭園があった。 三代将軍徳川家光は好んで小浜家を訪問し、庭を楽しんだという。 この屋敷が警備のために竹囲い(矢来)で囲まれていたのが矢来町の地名の由来になった。
10万石39,000坪の酒井家を差し置いて、千石1,750坪の旗本の名が坂名として残るとは、大したことだと思う。
photo : 2018/12/28
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