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2018年12月27日 (木)

安鎮坂(新宿区南元町/港区元赤坂)

安鎮坂は東宮御所(赤坂御所)の北側沿いの道の坂。 昭和61年(1987)頃、ここで皇太子(現在の天皇)が東宮御所の正門から車で出発されるのに出くわした。 当然車は通行止めになっていたが、私は徒歩だったので、しばらくの間足止めを食らっただけだった。

周辺の警察官に緊張が走り、異様な雰囲気になったのちに門から黒い乗用車(センチュリーだったかプレジデントだったかは覚えていない)が前後を警察車両に護衛されて出てきた。数分後、通行止めは解除された。安鎮坂はまさに東宮御所の正門前の坂道である。あとでニュースを見ると、その日は沖縄国体に向かって出発された日だった。

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安鎮坂の別名は権田原坂という。 その他に権田坂、権太坂、権太原坂、安珍坂、信濃坂など多くの別名がある。 歩道の標柱には次のように書かれている。

「付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので坂の名になった。武士の名からできた付近の地名によって権太原坂ともいう。」

権太原坂の方の由来は、幕府の代官権田隼人の屋敷があったとか、権田丈之助、権田小三郎の屋敷という説など諸説があって定まらない。

『新撰東京名所図会』には安鎮坂とあり、安鎮僧都の碑があるからとなっている。『江戸名所図会』の説明は権太原坂だから、江戸と明治で違っている。

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坂を下りきったところが、かつて鮫河橋があったところ。 それより先は鮫河橋坂である。 江戸時代、東宮御所は徳川御三家の紀伊和歌山藩の屋敷だった。

この坂下の窪みは赤坂川という川が台地を削って出来たもの。赤坂川は新宿区須賀町の円通寺あたりを源頭に若葉町の商店街沿いに流れ東宮御所内の池でいったん水を溜め、そこから溜池に注いでいた。 江戸時代坂下の谷沿いには岡場所があり、私娼が多くいたという記録がある。 この坂は最高位と底辺の人々が共存した場所になる。

photo : 2017/11/3

(追記:2019/1/2)

外苑東通りと安鎮坂の交差点の名前が「権田原」とある。 そして赤坂御所の住所が「元赤坂」である。 何気なく通り過ぎる交差点や地名に歴史が含まれている。

権田原というのは標柱にもあったように、江戸時代に権田某という人物の屋敷があったからという説が有力だが、切絵図にはほぼ御先手組の大縄地(今でいえば警察官の官舎敷地)が占めている。 権田(権太)についての考察は、時代考証家の大石学氏の『坂の町 江戸東京を歩く』に書かれている内容が詳しく興味深い。

元赤坂については、現在の赤坂と言えばTBSの周りを云うが、江戸初期の赤坂は赤坂御所周辺の地名だった。 そのため「元」がついて元赤坂という訳である。

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