清水坂(千代田区紀尾井町/麹町)
千代田区の清水坂は、坂下で紀尾井坂、清水谷坂と交差する。 坂上は新宿通りの麹町本通り郵便局から入る路地。 上智大学の東側をなめるように下っていく。 この坂の名前については諸説あるが、個人的には横関英一氏の『江戸の坂 東京の坂』の「江戸の念仏坂二つ」に含まれる考証を支持したい。
念仏坂考証の中では、天保元年(1830)に出た『江戸独案内』という古書の中に、麹町にあった江戸の坂として貝坂、紀尾井坂、念仏坂、清水坂が紹介されており、この念仏坂が何処にあったかという点を横関氏は考察している。 その余話ともいえる部分で、清水坂を上智大学の東側の道と確定しているのである。
写真の白いギリシャ風デザインの擁壁の上は上智大学のキャンパス。 『麹街略誌稿』という古書に、「清水坂、九丁目尾州公表門前より清水谷へ下る坂を云ふ」とあり、まさにこの坂が清水坂だと念押ししている。 尾州公表門前というのは尾張家屋敷の表門をいうが、江戸の切絵図は大名屋敷の正門の場所が分かるように描かれており、それによると紀尾井坂側が正門。しかし、元禄以前の絵図では、現在四ツ谷駅がある四谷見附の側が表門だったことが分かっているので、上智大学東路地が清水坂であるという説は間違いないだろう。
この坂を下ると清水谷に出る。 清水谷は大久保利通が暗殺された場所である。この場所はその昔から湧水の川が赤坂見附の弁慶濠に流れていた。 辺りは昔から湧水の豊富な場所だった。
清水谷公園には巨大な大久保利通の哀悼碑だけでなく、湧水池や江戸時代の石枡とも木管もある。 大木戸で地下化された玉川上水の幹線が、麹町通りの拡幅工事で発見されたもの。 数十センチ角の木管を通す精巧な石枡の大きさは、人の背丈ほどもあり、江戸時代の土木技術には驚かされる。 これだけのものを無造作に公園に置いているのは、それだけ東京には多くの遺跡や出土品があり、野ざらしにしてもいいと考えられているのかと思わざるを得ない。
photo : 2017/12/8
| 固定リンク | 0
コメント