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2018年12月 8日 (土)

芝坂(北区中十条/岸町)

北区の岸町は地名通りの地形である。 王子駅から東十条駅に向かって崖線を上る急坂が何本も通っている。 その中には無名の坂も多いのだが、芝坂は王子稲荷の坂、三平坂ともに名坂といえよう。 線路脇が5~6mの標高なのに対して、崖線上は24mほどあるので、20m近い落差になる。

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岸町という地名は当然ながらその地形から発生したもの。 大昔は王子村(現在の王子周辺)は岸村と呼ばれていた。 隅田川(荒川)の右岸で、洪水が何度となく武蔵野台地を削って出来た崖だが、それ以前の縄文海進の頃は海食崖だったはず。 海食崖と河岸段丘がブレンドされているというわけである。

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芝坂はアルファベットの「T」に似た道筋の坂。途中で左の上りと右の階段道に分岐している。 この坂上に向かって左方向の坂も相当に急である。 勾配は16%ほど。 自転車では到底無理。 しかし右側の階段道の勾配は21%もあるので、こっち(左)がメインルートになるわけだ。

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芝坂の坂名の由来は何だろうと考えてみた。 北区のHPを見ても、

「旧坂である。古い坂であるが、あまりしられていない坂のようでもある。芝という名前の由来は不明。」

とあるだけ。 20年くらい前までは標柱が立っていたらしいが、何が書かれていたのかはわからない。

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芝坂の上からは高架の上を往来する新幹線を眺めることが出来る。 上越・北陸・東北各地・北海道への新幹線がひっきりなしに通る。 昭和中期までの地図には、この坂下の分岐点の北側に神社の印がある。 位置的には分岐の北側に当たる。 しかし何を調べてもここにあった神社のことは分からなかった。

この崖線には十条台遺跡群という広大な遺跡が地下にあり、縄文時代から人々が生活を営み続けた場所である。 そんな崖線にたくさんの家が立ち並ぶのを見ていると、何千年経っても人の住みやすい場所は同じなんだなとつくづく思う。

photo : 2018/9/19

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