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2018年12月19日 (水)

馬場坂・たぬき坂・縄文坂・西坂(上井草)

上井草碁盤坂の最後の4坂。 この辺りは井草川の源流部になる。 大昔の井草川源流は青梅街道井草八幡前交差点辺りだろうか。 井草八幡宮が善福寺川と井草川の分水嶺になっている。

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道灌坂の西側にあるのは馬場坂という坂。 この坂も真ん中で井草川暗渠と交差するため薬研状になっている。 暗渠を挟んで南側には都立農芸高校の上井草農場の馬場があるので馬場坂と名付けられた。 しかし2018年訪問時は整地をしていたので、馬場がどうなるのかいささか心配になった。 改修工事のお知らせには、建物を建てる工事ではなく圃場改修工事とあったので、新しくなるだけだろう。

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馬場の北側に暗渠が走り、その北側は農業試験場になっている。 そのため辺りは自然豊かな緑に囲まれた良い環境の坂道である。 北側の坂上から農場を回り込むように西側に向かう。 農場にはいろいろな果樹が植えられている。

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西側の道路に回り込むと谷はかなり浅くなっていて、薬研状ではあるものの、お皿の断面のような緩やかな傾斜。 この坂はたぬき坂という。 「田抜け」から転じたということだが、「田抜け」がどういうことかよく分からない。 もっともこの辺りでは最近まで狸が出ることが有ったというので、たぬき坂というのは動物の狸に因むのかもしれない。

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杉並工業高校の西側は縄文坂。 別名がどき坂(土器坂)。 写真の中央右側の銀杏の樹の辺りが井草遺跡で、そこから井草式土器が出土したことに由来する。 ここは旧石器時代から江戸時代までの複合遺跡で、縄文前期(約9000年前)の土器が出土、標準の土器となり「井草式土器」という名でよばれるようになった。 井草川源流域と善福寺川源流域は特に旧石器時代から縄文時代の遺跡が多い地域。 1万年以上の昔から人が暮らしてきた土地と思うと、最近設定された「上井草碁盤坂」も土地の記憶再発見の一役を担っているのではないだろうか。

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最後の坂は縄文坂の北側にある西坂。 この坂だけが少し北東に傾いた坂。 西の山にかかる短い坂という上井草碁盤坂の説明だったが、この坂の西側の巨大な庭のお屋敷の主が西山家なので、それに因んだのではないかとも考えられる。 それだけ大きな屋敷で、巨樹が何本も生えていた。

個人宅なので中には入れないが、西山家穀櫃は杉並区の登録文化財になっている穀物貯蔵庫で天保15年(1844)に作られたもの。

photo: 2018/11/23

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