梅林坂(皇居東御苑)
皇居江戸城本丸跡に上るルートは5つ。 正門ともいえるのが百人番所前の中之門、その北側には二の丸から上る汐見坂、さらに北側には不浄門といわれた平川門に続く梅林坂(うめばやしざか)がある。 一方西側は狐坂を上る西桔橋門(にしはねばしもん)、北には北桔橋門(きたはねばしもん)がある。
狐坂のある西桔橋門は皇居乾通り一般公開の時にしか通れないので、狐坂は当分の間踏破できない。北桔橋門から北の丸公園への出口は断崖のような高さがある。
平川門からの道と、二の丸からの道が出合う辻からの上り坂が梅林坂。 いろいろな樹木が二重三重に重なっていて、季節感を感じられる道である。 いささか通用口感があるが、旧天守閣に裏手から上がる。
梅林坂にも説明板がある。 文明10年(1478)に太田道灌が川越から天神社を勧請し祀った時に、百株の梅の木を植えたのが由来(説明板には数百株とあるが、『江戸名所図会』には梅樹百株とある)。 以前には平川天神の坂と呼んでいたが、道灌が梅を植えてからは梅林坂と呼ばれるようになった。 家康もここを梅林坂と呼んでいたのかもしれない。 もちろん樹齢400年の梅は残っていないので、植え替えられたものばかりである。
江戸時代半ばから人々は桜を愛でるようになったが、もともと花見と言えば梅の花であった。 戦前くらいまで梅の花見は盛んで、各地で梅が楽しまれていた。 大田区の梅屋敷もそうであるし、二子玉川も元々は将軍が鷹狩りと鮎と梅の花を楽しむ場所だったらしい。
ちなみに読みは「うめばやしざか」だが、「ばいりんざか」とも呼ばれていたという記録がある。
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