汐見坂(皇居東御苑)
2018年12月23日は平成最後の天皇誕生日であった(実はまさにその日にこれを書いている)。齡(よわい)を重ねるにつれて、皇室の報道に心穏やかになるという感覚が出てくるようになった。細かいことは抜きにして、2000年近くも続いた国は地球上には皆無に近い。勿論縄文時代が1万年続いたことがそれ以上の奇跡なのだが、皇室の歴史もまた同様の奇跡だろう。
パレスホテル前の大手濠と桔梗濠の間にある大手門から皇居東御苑へ入城することが出来る。入場は明るい時間帯のみだが無料。丸の内にあるにも関わらず、大手門をくぐるとそこは都会の喧騒をかき消したような別世界になる。
すこし上り坂を上ると広場に出る。 百人番所が長さ50mを超える姿を見せる。江戸時代の検問所で、与力・同心が常時100人詰めていたことから百人番所と呼ばれるようになった。
百人番所前には見事な石垣が迫っている。 番所を背にして、左側の石垣の切れ目が本丸へ入る中之門、右側の切れ目が東御苑へ行くルート。東御苑は素晴らしい庭園として人気があるが、その西側には白鳥濠が水面を静かに湛えている。白鳥濠の先の巨大な石垣の間を上る坂が汐見坂である。
石垣の脇に説明板がある。
「汐見坂:本丸と二の丸をつなぐ坂道でした。その昔、今の新橋から皇居前広場の近くまで日比谷入江が入り込み、この坂から海を眺めることが出来ました。坂の上には、汐見坂門が設けられていました。」
汐見坂を上りきると江戸城天守跡が目に飛び込んでくる。江戸城は太田道灌の城を基に、徳川家康が1606年に建立したが、天守の場所は南側の富士見多聞の辺りだった。二代秀忠から三代家光にかけては現在の天守台跡の位置に日本最大の天守閣を築いた。しかし、明暦の大火(1657)で焼失。 そのあと加賀藩前田家の普請で再建させた天守台が現在のもの。しかしこの天守台に天守閣が築かれることはなかった。城を示して権勢を誇らずとも、江戸幕府はすでに天下を統一し安定政権となっていたことも大きな理由のひとつであろう。
photo : 2016/12/3
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