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2018年12月10日 (月)

地蔵坂(北区中十条)

最寄り駅はJRの東十条駅だが、地蔵坂のある河岸段丘の上の街区は中十条、線路から低地側が東十条になる。 地蔵坂は中十条と岸町の町境。 岸町は王子駅からここまでの主に崖線部分を占め、まさに河岸段丘の斜面が街区である。 地蔵坂の南にある芝坂も、台地上の中十条と斜面から下の岸町の町境の道になっていた。 坂というのは「キワ」であると同時に「境」でもある。

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今回は坂上から下ってみた。 坂上の標高は22m、約100mで坂下の海抜8mまでを下るので、14%という勾配のきつい坂である。 雪が降った時のためか、坂にはステンレス製の手すりが付いていたが、その道路側に電柱の支線(黄色いカバーの地面に結束してあるワイヤーロープ)があって邪魔。 東京はコストがかかってもきちんとインフラを地下化すべきではないだろうか。

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段丘の斜面には古い家が多くみられる。 坂途中にも懐かしい木製和風の板塀があってとても気持ちがいい坂風景だ。 火災には弱いかもしれないが、ブロック塀の倒壊で亡くなる人がいるのだから、狭い路地には板塀を増やすべきだと思う。 町並みもきれいになるし、取り換えも容易で、たとえ倒れても命を奪うようなことはない。

坂の途中に標柱があるが、以前のものとは文章が変わっていた。 以前のものは、

「地蔵坂は、この坂の上の三叉路で合流し、ここを通って下る坂道です。現在の中十条2-11-1地先付近までが崖で、坂道は崖の手前の地蔵同から続いていましたので地蔵坂と呼ばれていました。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設にともなう跨線橋の設置や道路の拡幅により今の位置に移転したものです。」

と書かれていた。

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今のものは平成30年に新調されたもので、次のように書かれている。

「江戸時代の地誌『新編武蔵風土記稿』には、「地蔵坂 往還ヨリ東二丁程ニアリ」との記載が見えます。往還とは、日光御成道のことで、この坂を上っていくと日光御成道につきあたりました。坂名はこのあたりに地蔵尊があったことに由来します。現在の地蔵堂は、東十条駅の開設に伴う跨線橋の設置や道路の拡幅により、今の位置に移転したものです。」

坂下は線路にぶつかる丁字路。 上の写真の右側は線路を越える架橋の台地側の擁壁になる。 橋の途中に東十条駅の南口の橋上駅舎がある 。

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擁壁上の地蔵堂はかなり立派なもの。 お堂の前には庚申塔と花立が狛犬のように並んでいる。 庚申塔は寛政3年(1791)のもの。 昭和6年(1931)に下十条駅(現在の東十条駅)が開業、昭和12年に道路拡幅されたときにここに移転したとある。 大きいほうの地蔵は子育地蔵尊で、年代不明だが江戸時代にはすでに祀られていた。 正面の庚申塔は道標も兼ねており、右より練馬みち、左より豊島みちと彫られている。

photo: 2018/9/19

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