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2019年1月26日 (土)

十二社熊野神社(新宿区西新宿)

西新宿の高層ビル群の先にかつてはホームレスの集合地だった新宿中央公園がある。 その北西角にあるのが十二社熊野神社。 熊野神社は熊野三山を本社とする熊野神を祭神とする神社で、熊野社あるいは十二所(ジュウニソ)神社などと呼ばれる。全国には2~3千社あると言われているが、その地域は東北から九州までと広い。 特に関東中部地方に多いが、東京23区内には5社のみ。 板橋前野、志村、自由が丘、立石とここ新宿である。

熊野三山の信仰は熊野古道などでもわかるように有史以前からの自然信仰で、全国的に広まったのは平安時代から鎌倉時代にかけてである。 熊野三山とは、熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社を指す。

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十二社熊野神社(新宿)の創建は応永年間(1394~1428)に中野長者といわれた鈴木九郎が、故郷の紀州の熊野三山より勧請したと伝えられる。 新宿の総鎮守とされているが、今でこそ日本最大の街新宿も100年以上前はのどかな農村地帯であった。 神社の辺りは角筈村、北側が柏木村で、青梅街道と甲州街道に挟まれた近郊農業の田園地帯である。

江戸時代の風景は、『江戸名所図会』の「角筈熊野十二社」 に描かれている。 広い池は十二社の池で、江戸時代以降は元からの湧水に合わせて、玉川上水の水を落とした景勝地となり、花街が広がって賑わっていた。ただ淀橋の由来では守銭奴で金の隠し場所を知ったものを平気で殺す鈴木九郎という印象だったので、神社を勧請するという話とは少し距離を感じた。

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鈴木九郎の鈴木家は昔、熊野地方で熊野三山に仕えていた。 源義経について東国を巡り、九郎のときに中野に定着し、この地域を開発した。 その後、九郎は成功し財を成すようになり、応永10年(1403)には熊野三山の十二所権現をすべて勧請した。

江戸の景勝地となったのは、八代将軍徳川吉宗の頃で、鷹狩りの折に将軍も立寄るようになり、滝や池を配した大名好みの風景に人気が高まった。 最盛期には料亭や茶屋が100軒を超え、芸妓も300人以上いたという。

しかし十二社池は昭和43年(1968)にすべて埋め立てられてしまった。 今はビルが立ち並び、当時の面影を探すことは難しいが、一本裏路地に入った大銀杏のあるそば処福助や改装した旅館一直、またそば屋福助の南に残る料亭跡などがある。

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