二重橋(千代田区皇居)
皇居の橋で最も有名なのは言うまでもなく二重橋である。平成31年の新年一般参賀は、平成の最後として154,800人という史上最高の参賀者数となった。 平成2年は喪中で行われなかったが、平成3年~平成30年までの平均が75,793人なので、その倍が参賀したことになる。
平成6年のピーク111,700人は前年の皇太子と小和田雅子さんご成婚後の一般参賀だったが、平成30年がそれを超えて126,720人となったのは前年末に天皇陛下が平成31年に退位の意向を発表したためである。そして平成31年は15万人超えとなった。
一般参賀の入口がこの通称二重橋からである。東京に観光に来ると九分九厘この前で記念撮影をする。 一般には、マスコミでさえこの橋を二重橋という名前で扱っているが、実はこれは二重橋ではないことは知られた話。 ところが最寄りの駅名まで千代田線二重橋駅となっているので、大多数の人は疑いもなくこの眼鏡橋を二重橋と思っている。
皇居は皇居である以前に江戸城であったことを思い出すと、元々この橋は江戸城西の丸の登城口で、将軍らは本丸に居たので、西の丸は引退した前の将軍や世継ぎが住むところであるため、二重橋はメインルートではない。 長い江戸時代の間には何度か大火で城が焼けており、将軍が西の丸に住んだ時期もあるが、江戸の最後に近い1862年には本丸、西の丸ともに焼けてしまったので、1863年には西丸に仮御殿を建てこの通称二重橋が正門扱いとなった。その数年後に無血開城となったのである。
通称二重橋は正式には「正門石橋」という。 その場所に建つと奥の小高いところにもう一本の橋がある。 江戸時代の橋の造りが二重に見える構造の木橋だったので、こちらを本来は二重橋と呼んでいたのである。 明治19年にドイツの会社に依頼してこの橋を架け替えて鉄橋となった。
手前の正門石橋も同年、木橋から石橋に改められた。 総花崗岩造りの美しい橋になった。 戦前はこの二つの橋を渡るのは天皇家、皇族、外国の貴賓と大使公使だけだったが、昭和23年から一般参賀が始まり国民も渡る機会を得ることになった。
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