永代橋(隅田川、中央区新川/江東区永代)
隅田川の橋には歴史のあるものが多い。 江戸時代に4番目に架けられたのが永代橋。元禄11年(1698)に、幕府が伊奈忠順(イナタダノブ)を普請奉行に任命し架けたもの。
伊奈家は代々江戸の治水に大きな貢献を果たしてきた家柄。 利根川東遷事業の大河川改修を率い、伊奈家3代をかけて現在の銚子に流れる利根川の流れを築いた。もともと利根川は江戸川で海に流れ出していた川だったので、とてつもない大工事だった。 利根川東遷事業を行った伊奈忠次の玄孫が伊奈忠順である。
伊奈家は他にも多くの事業を果たした。 玉川上水の開削は玉川兄弟と水道奉行の伊奈忠克により成し遂げられた。 また永代橋を架けた忠順は富士山の宝永大噴火の被災で、ほとんど滅亡しかかっていた足柄地区酒匂川流域の農民への多大な援助を行い、事業半ばで他界したが、村人たちは須走に伊奈神社を建立し、忠順の菩提を弔った。
現在の永代橋は大正15年に開通したアーチ橋で、夜間にはライトアップされたりして近代の橋ながら美しい橋である。 橋長は185m、幅は22m、アメリカの技術者の援助を受けて架橋した。
しかし江戸時代の永代橋はこの場所ではなく、150mほど上流の日本橋川合流地点の北側に架けられていた。 江戸時代の広重の『東都名所永代橋全図』 は箱崎側からの眺望を描いており、左手に永代橋、右手に日本橋川の豊海橋が見える。
江戸時代の永代橋はもちろん木橋だった。 そして明治30年(1897)に鉄橋に架け直されたのだが、それはほぼ現在の位置だった。ところがその後大正12年の関東大震災で隅田川の橋はことごとく壊れてしまった。
参考) 江戸深川情緒の研究 驚きの「記録写真」たち―80年前の新旧永代橋
従って現在の橋は関東大震災後の大正15年(1926)に新たに架け直されたもので、間もなく100年になろうとしている。 この橋が今もまだ現役で、しかも美しさを保っていることは、明治から大正にかけての日本の土木建築技術の高さを物語っている。 その結果というべきか、永代橋は、土木学会選奨土木遺産、および国指定重要文化財に指定されている。
江戸時代の文化年間にあった落橋事故では死傷者・行方不明者1,400人という大惨事になったことは有名。
幕府は財政難から永代橋の維持管理を困難として廃橋を決めたが、町人が自分らで負担して管理するからと嘆願し永代橋は残った。 1807年9月20日、富岡八幡宮の12年ぶりの祭礼が行われた折、江戸市中から群衆が橋に詰めかけた結果、橋が重さに耐えきれず崩れ落ちた。後ろにいた人間には何が起こったかが分からないので、早く行けとばかりに押し合いへし合いするので、橋の上からどんどん人が落ちていくという悲惨な事故であった。
この話は落語にもなっているので、お時間のある折に30分ほどお楽しみください。
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