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2019年1月22日 (火)

淀橋(神田川 中野区中央/新宿区西新宿)

ヨドバシカメラの由来の淀橋である。 青梅街道が神田川を渡る歴史ある橋。 橋の中野区側にはかつて都電の淀橋電停があった。 現在の住所は中野区中央と新宿区西新宿の区境だが、昭和の地名では北東が柏木、南東が淀橋、西側が本町通りだった。 また関東大震災以前は北東が淀橋姿、南東が淀橋、北西が小淀、南西が本郷。

しかし大正時代以前の神田川はほぼ自然河川の流れで、この辺りも複数の流れに分流していた。南東から淀橋付近に合流してくる流れがあった。 「神田上水助水堀」と言われているが、それは江戸時代に玉川上水が出来てから、神田上水に補水する目的の人工水路の扱いだ。

しかしこの流れは地形を読む限り、間違いなく十二社の池から流下していた流れである。十二社あたりと淀橋では5mほどの高低差があり、この間を流れていた小川を利用して江戸時代に水路が開かれたのだろう。

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淀橋周辺には平成の間に高層ビルが林立した。 もっとも新しいのがパークハウスという60階建てのタワーマンションだ。 この脇にはかつて「けやき橋商店街」という素朴な昭和の商店街があった。

少し南にもかつて初台に通じる商店街があり、はっぴいえんどのファーストアルバム(通称ゆでめん)のジャケット写真になった風間商店という製麺所があった。 神田川笹塚支流を渡る商店街通りの橋「柳橋」の脇に、今もまだ古いアパート付き商店がシャッターを閉めたまま残り(風間荘)、これがゆでめんの場所である。

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青梅街道の神田川に架かる橋はいたってそっけないもの。 もっとも長さの何倍も道路幅があるので、車で通る人は橋を感じることはない。 しかし淀橋は徳川家康の江戸入城以前からある古橋である。

『江戸名所図会』にも描かれており、「淀ばしは、成子と中野との間にわたせり。大橋・小橋ありて、橋よりこなたに水車回転(マワ)れるゆゑに、 山城の淀川に準(ナゾラ)へて、淀橋と名付くべき台命ありしより、名となすといへり。大橋の下を流るるは神田の上水堀なり。」と記述されている。

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題名は『淀橋水車(ミズグルマ)』、左頁の木橋が淀橋である。 水車は左頁の最下部にある。右頁にある橋は神田川の分流に架かっていた小淀橋だろう。今は路地にその痕跡を感じることが出来る程度である。

橋の北東側に淀橋という名前以前の『姿不見の橋』についての物語が書かれている。

『淀橋』の名は、江戸時代の三代将軍徳川家光が名づけたといわれる。 古くからあるこの橋は、昔は「姿見ずの橋」とか「いとま乞いの橋」と呼ばれていた。中野長者といわれた鈴木九郎が、自分の財産を地中に隠す際に、他人に知られることを恐れ、手伝わせた人を殺して神田川に投げ込んだ。 九郎と渡るときに一緒にいた人が、帰るときにはその姿が見えなかったことから「姿見ずの橋」と呼ばれた。

江戸時代に鷹狩りに訪れた家光がこの話を聞き、「不吉な話でよくない、景色が淀川を思い出させるので淀橋と改めよ」と命じたので、それ以降は「淀橋」と呼ばれるようになった。

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