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2019年1月28日 (月)

駒場地蔵尊(目黒区駒場)

目黒区は北西に尖がった北海道のような形をしている。 その北海道で言うと稚内あたりになるのが駒場。  渋谷区と世田谷区の間にクサビを打つように食い込んだ駒場の突端は小田急線東北沢駅近くの三角橋だがそこには橋などない。 三角橋という地名はかつて三田用水が流れていた時代にあった橋の名前である。駒場の北境はこの三田用水沿いになっている。 三角橋あたりから取水して北沢川溝ヶ谷支流に分流していた。 この支流沿いには『ヤマメの恩返し』という民間伝承がある。

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淡島通り沿いは古道滝坂道である。 目黒区から世田谷区に入る交差点の角に駒場地蔵尊がある。 傍らに目黒区の立てた説明板が立っている。

「悪病も退散 〆切地蔵 … その昔、隣村で悪病が流行、大勢の人が死んだ。驚いた駒場の村人がこの地蔵様に祈ったところ、誰も病気に患らなかった。以来、悪病締め出し地蔵として、この名が付いたという。」

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一番右の地蔵は新しい。 二番目の地蔵菩薩は古く1692年のもの。 真ん中の大きな地蔵菩薩は1718年、左の小さめの聖観音菩薩は1674年でこれが一番古い。 地蔵信仰は鎌倉時代に民衆に広まり、江戸時代から明治辺りまで、鎮守とは別にまさにその土地のものとして育まれてきた。 最近あちこちで開発や新築時に「気持ち悪い」と言って、業者に破棄してもらうというケースが多いようだが、罰当たりな話である。

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左の間仕切り側にある地蔵についてはよく分からない。水子地蔵尊のようである。 それにしてもここの地蔵堂はしっかりと守られていて素晴らしい。

目黒世田谷には「駒」のつく地名が多い。 ここ駒場に始まり、駒沢、駒留とある。 駒というのは馬のことだ。 駒場というと馬が集う場所で牧場。 ここでは昔から良馬を産出したという。 馬が駆け回った野原ということで駒場野という地名が出来た。

駒沢というのはちょっと違って、上馬引沢村、下馬引沢村、野沢村、深沢村、弦巻村などが合併して明治時代に出来た地名。 しかし駒留には由来がある。 駒留八幡神社の由緒によると、1308年に駒留八幡神社を創建した領主の北条左近太郎入道成願が神社の土地を探す際に、馬が立ち止まったところにしようと決め、神社の場所で立ち止まったことに由来するという。

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江戸時代の駒場はまさに将軍の御鷹場だった。 現在の東大キャンパスの辺りには将軍用の御鷹場施設も作られた。 滝坂道は尾根筋を通っていたので、駒場野の風景は道すがら広大に広がっていた。 その絵図が『江戸名所図会』の「駒場野」に描かれている。

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この景色がつい200年前の景色である。 周辺は徳川将軍の御用屋敷の敷地内で、もともとは上目黒村の加藤家が開拓した土地だったが、江戸時代初期に加藤家は愛媛県の宇和島藩伊達家に献上、宇和島藩の下屋敷になった。 その後1718年に宇和島藩は幕府の鷹狩り場として差し出したといういきさつがある。

この辺りの鳥見役(鷹場の獲物を管理する公務員)の役金は20両だったというので、今の価値にして高いか低いかは何とも言えないが、相対的な生活レベルから言えば歴史学者の換算額はコンサバすぎるので、私の理解としては年収1000万くらいの感じだったのではないかと思う。

それに対して地元民は鷹番として身銭を切る負担を受けていたようで、名誉の代わりに労役を強いられていた。 いつの時代も、管理する側と現場で生活する側では経済的な物差しが違うのである。

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