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2019年2月19日 (火)

地元稲荷神社前の庚申と地蔵(世田谷区桜丘)

拙宅から駅までの間に毎日のように通る道に地蔵と庚申塔群がある。 桜丘の稲荷森(トウカモリ)稲荷神社の玉垣の外にあり、地蔵は堂宇にあるが、庚申塔は外に置かれている。江戸時代はこの地域は経堂在家村といった。 しかし辺りは世田谷村横根との境で、神社前の道が村境。 稲荷神社は江戸時代の地図では、経堂在家村に食い込んだ特別な土地という扱いであった。
中世の頃は、武蔵国菅刈庄(ムサシノクニ スゲカリノショウ)という大きな荘園の一部だった。 歴史は古い土地である。 江戸時代に経堂在家村だった地域が今も経堂4丁目になっていて、千歳船橋駅前なのに住所が経堂という江戸時代の村名を引きずったままになっている。

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稲荷神社の玉垣の脇にある4基の庚申塔と1基の地蔵は、毎日近所の方が掃除して花を供え、小さな木なども植えられている。 何十年もあまり気にせずこの前を歩いていたが、歳と共にここで一礼をすることが増えた気がする。

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堂宇の地蔵菩薩の造立年は延宝4年(1676)と古いが、形はしっかりと保たれている。この辺りの名家に岡庭家があるが、この地蔵もそのご先祖が主となって立てたものらしい。
前の道路は江戸時代には黒駒裏街道(甲州裏街道)と呼ばれていた道で、南側には熊本肥後の細川家が戸越に抱屋敷を拝領した折に、玉川上水から分水して品川まで引いた品川用水も流れていた。 品川用水は1663~1664年に掘られているので、地蔵はその少し後の時代。 このあたりにも品川用水の恩恵があり人口も増えたのだろう。 品川用水は昭和20年代に埋め立てられ千歳通りに代わった。
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一番道路側の庚申塔は、正徳3年(1713)と刻まれている。 富士山の宝永噴火のすぐあとである。 傘付きの角柱型で青面金剛の下に三猿がある典型的な図柄のもの。
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二番目の庚申塔は、同じく青面金剛に三猿だがこちらは顔が少し強面に描かれている。 造立年は元文4年(1739)と少し後の時代になる。
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三基目は再び破風の形の傘が付いたもの。 このトンガリ帽子タイプと隣の不動明王タイプの青面金剛の違いは何だろうかと思うがよく分からない。 造立年は安永6年(1777)とさらに新しくなる。 新しいと言っても250年ほど昔である。
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最も奥にあるのが小さめの駒型だが、造立年は延宝7年(1679)と地蔵に次いで古いものだった。 綱吉の生類憐みの令が1687年だからその少し前である。
稲荷森稲荷神社の創建は不明だが、吉良氏の時代と伝えられるので、1300年代ではないだろうか。 毎日歩く道を、荘園時代、江戸時代、明治大正と、いろいろな村人が歩いていたことを想像するのもまた面白いものである。

 

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