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2019年2月21日 (木)

宿山の庚申塔(目黒区上目黒)

昭和50年代に中目黒に住んでいた。 目立たない街だが渋谷に近く、下北沢、三軒茶屋に準ずる若者文化の息吹のある街だった。 ところがEXILEブームあたりから中目黒は薄っぺらい街に変わってしまった。人間のエネルギーを感じられない、金儲けの臭いのする街に落ちてしまった感じがする(個人的な見解)。

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江戸時代以前、東京には多くの鎌倉街道が走っていた。その鎌倉街道の辻にあるのが上目黒の宿山の庚申塔である。環状七号線の野沢龍雲寺から中目黒、代官山を経て現在の青山学院大学のところで大山街道にぶつかる道は、蛇崩から北上すると、この庚申塔群のところで東寄りに折れ、小川坂を下って中目黒に。そしてこの道が目黒川を渡る橋が宿山橋である。

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数基の庚申塔が並んでいて、壊れているものもある。その中でも右から2番目の庚申塔は古そうだ。かなり風化が進んでいる笠付(笠欠)角柱型青面金剛で三猿が一匹ずつ3面に掘られている珍しいタイプ。 上部に日月、青面金剛像、そして足元に二鶏がある。造立は元禄5年(1692)11月15日とある。もともと傘付きだったが落ちてしまったらしい。

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もっとも左のバス通り側にある舟型光背型の青面金剛の庚申塔は宝永5年(1708)10月の造立。青面金剛の下に二鶏、三猿の彫られたオーソドックスなものだが、結構な大きさがある。脇には力石が無造作に置かれている。

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実はいちばん保存状態の良い中央の地蔵菩薩像が最も古く、延宝3年(1675)2月のもの。目黒区では唯一の地蔵庚申だというが、都内では庚申地蔵は比較的一般的である。「奉造立庚申供養二世安楽也」と刻まれている。

宿山という地名は大正時代までの地名。ここから東側は烏森、その先の小高い丘は諏訪山、目黒川沿いに下ると小川という字名だった。小川坂の由来は坂下の町名だが、その先の目黒川の橋が宿山橋というのが不思議である。

諏訪山は中目黒では代官山に勝るほどの高級住宅地。地形からすると城跡なのではないかと推測しているが、記録はない。諏訪山は遺跡としては、縄文時代~弥生時代の竪穴式住居や環濠集落が出ているが、それ以降のものが記録に出てこない。されど目黒川の北側には渋谷金王神社に渋谷氏の渋谷城があったから、ここも渋谷氏の家来かあるいは太田道灌の家来が守りを固めていたのではないか、などと想像すると楽しい。

場所  目黒区上目黒5丁目5

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