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2019年2月 9日 (土)

千住大橋(荒川区南千住/足立区千住橋戸町)

徳川家康が江戸入城して隅田川に最初に架けられた橋が千住大橋である。 以降、江戸には350以上の橋が架けられてきたと言われる。 それだけ江戸には水路を整備したということにもなる。 その中でも隅田川に最初に架けられた千住大橋の意味合いは特別だ。
当時当然多摩川には橋はない。 もちろん昭和になって完成した荒川もない。 今の荒川は隅田川の放水路として赤羽から人工的に掘られた河川である。 隅田川は当時は荒川と呼ばれていた。 江戸の防御を考えると橋は架けない方がいい。 しかし街道を整備するのに、ここは日光街道、奥羽街道、水戸街道の要なので、渡しでは対応できなかった。
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最初の橋であったので江戸市民は単純に「大橋」と呼んだ。 そのために今の橋のプレートも「大橋」と書かれている。 両国橋などは落橋して大惨事になったが、千住大橋は文禄3年(1594)に架けられてから、明治18年(1885)まで一度も流失しなかったのはすごいことである。 もちろんその間に改修や補修は何度も行われている。
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橋の南にある荒川ふるさと文化館にある模型が江戸初期の様子を伝えてくれる。 木橋としては異常なほどの長寿命。 この橋を架けたのは伊奈備前守忠次で、彼は徳川家康に命じられて江戸周辺の大きな川の治水工事を行った。 東京湾に注いでいた利根川を、銚子方面に付け替えたのも彼の事業。 神田上水を開発した大久保主水と合わせて、江戸の街を作った主役である。 大橋の材には水腐れに強いイヌマキ(高野槙)の巨材を用いたりという工夫もあったようだ。 昔の工事レベルは本当に感心するものが多い。 ちなみに資材調達は伊達政宗が行った。
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今の鉄の橋は昭和2年(1927)に架けられた近代的なアーチ式の鋼橋で、イヌマキの橋杭はこの時まで使われたようだ。 元の木橋があまりに凄いので存在が霞みがちだが、この鋼橋も橋脚のない橋でなかなかの土木技術だと思われる。
松尾芭蕉の『奥の細道』もこの橋が旅立ちの地である。 北千住側に「奥の細道 矢立初めの地」という石碑がある。 ここから先は別世界というのはつい150年前の話。 江戸と東京はそれほど違う。
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橋の下に潜れるようになっている。 千住小橋という橋があって、そこにはここに浮く3つのブイの話が書かれていた。 このブイは木橋時代の橋杭がその下に埋まっていることを示している。 上を歩く人にはまったく気づかれないが、千住大橋にはたくさんの痕跡、史跡があって興味深い。
おそらく千住大橋について調べられることをまとめようとすると1冊の本になりかねないほどの橋であるが、その道の専門家ではないので、ここらへんで。

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