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2019年2月11日 (月)

龍泉寺目黒不動尊(目黒区下目黒)

江戸時代から江戸・東京の庶民に親しまれてきた龍泉寺(通称 目黒不動尊)。 町奉行の区域(朱引)まで特別扱いにされていたほどの寺院だったが、現在でもその特別感は十分にある。 まず路線バスが境内にまで細路地を入ってくるのに驚く。 バスは仁王門(山門)の前までやってくる。 お年寄りには親切な環境である。

目黒不動尊は天台宗の寺院。 大同3年(808)年に慈覚大師が創建したと伝えられる。 最澄が比叡山延暦寺を開いたのが788年、空海(弘法大師)が高野山を築いたのが819年だから、その間の出来事になる。 本尊が不動明王なので目黒不動尊と呼ばれる。 江戸時代になって、三代将軍家光の強力な支援を得て、江戸有数の寺院になった。

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江戸時代は大人気の日帰り行楽地としても賑わった。 大半の参詣者は行人坂を下って、遠方の富士山を愛でながら、太鼓橋で目黒川を渡り、目黒不動尊へと向かう。 それは帰り道でも同じで、行人坂を上り一息ついたところで振り返ると西日の富士が見える。

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上の浮世絵は広重の『江戸自慢三十六興』の「目黒行人坂富士」である。 江戸時代の人々はこんな景色が見られたのかと羨ましくなる。 目黒川以遠はほぼ緑に包まれた里山のような環境である。

病弱だった三代将軍家光は目黒不動に深く帰依したが、同時に江戸の街には五色不動という5ヶ所のお不動様が信仰の対象となった。 目黒、目赤、目青、目黄、目白である。この五不動の話はまた別の機会にしたい。

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龍泉寺の本道は急な男坂の階段を上った先にある。 その台地よりもさらに高くなった本堂は民間のあこがれを集めるのに十分な威厳を感じさせる。 裏手には大日如来像もあり、本堂を一周してお参りする。 龍泉寺には他にも様々な見どころがあり、それぞれを紹介するのは大変なので別の機会にしたい。

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別の見どころの中でも男坂の階段下から近い前不動堂は戦災を受けなかった貴重な建造物として重要だ。 概ね戦災で焼けてしまったのだが、この前不動堂と勢至堂は焼けていない。 この前不動堂と勢至堂は江戸時代中期のものである。 昭和44年に修復され、きれいに塗られているので古い感じはしないが、土台の石や木材の状況を見てみると時代を感じられる。

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意外と人気なのが男坂の階段下にある水かけ不動明王。 慈覚大師が独鈷で示したのがここの湧水で「独鈷の滝」と呼ばれた。 斜面の竜頭から何ヶ所か水が出ている。 かつてはこの湧水池と滝は行者の水垢離(ミズゴリ)場だった。 江戸末期にはあの西郷どん(西郷隆盛)が領主の島津斉彬の病気平癒を祈願してここで水垢離をしたという。 やはり水というのは昔から聖なるものなのである。

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行人坂と同じく安藤広重の『江戸自慢三十六興』の「目黒不動餅花」である。餅花というのは、不動尊の祭りの屋台で定番だったお菓子で子供への土産になっていた。 目黒不動周辺には花街がないので、おかみさんたちは安心して亭主を目黒不動にお参りに行かせたという。 しかしそこは江戸っ子、帰りに品川によって遊んで帰るという、騙し合いが面白おかしく伝えられたりしている。

しかしこの広重の浮世絵の女性はなぜこんなに大きいのだろう。 そこが気になって仕方がない。

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