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2019年2月10日 (日)

大橋(目黒川、目黒区玉川通り)

玉川通り(国道246号線)が目黒川を渡る橋を大橋という。 最寄駅が東急田園都市線の池尻大橋である。玉川通りはかつての厚木街道。 江戸と厚木(大山)を結ぶ街道として多くの大山詣での人々で賑わった。 現在は首都高速に覆われた国道246号線が片側数車線で南北を分断する形になっているが、大橋の辺りは目黒川の氾濫でたびたび川筋が変わっているので、旧道は今の玉川通りではない区間が多い。

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地図は関東大震災前の大橋の周辺である。 この時にはすでに玉電を通すために直線的に道が通っているが昭和30年代までは片側1車線+軌道の狭い道だった。また目黒川の流程は現在とはかなり異なっている。地図の北側にあるのは駒場の陸軍、そして目黒川の南側は駒沢練兵場で、陸軍一色の街だった。昭和30年代になると、北側の陸軍大隊は警察(機動隊)や学校、病院になった。 南側はしばらくの間防衛庁が占拠していた。

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現在の大橋はいつ渡ったのかも分からないような状態になっている。頭上には大橋ジャンクションがあり、昼なお暗い。 ここは首都高でも有数の渋滞ポイントになってしまった。 全体計画を欠いた状態でパッチワークのように開通させても渋滞は永遠になくならないだろう。

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その大橋から上流の目黒川は完全暗渠になる。 ここから下流は河口の天王洲アイルまで開渠で、両脇に植えられたソメイヨシノが近年になって東京でも千鳥ヶ淵に並ぶ桜の名所になった。

私が中目黒に住んでいた1970年代は川沿いの桜はほとんど知られていなかった。 他にもっといい桜並木は五万とあるのになぜ目黒川がもてはやされるのかが分からない。 ただ、歩いて感じるのは、いろんな飲食店があって花見客の財布からお金を抜き出そうとしのぎを削っている。 商売になるからPRされる。 そうすると単純な花見客はすぐに寄ってくる。 金が落ちる。 さらに宣伝になる。 という循環ではないだろうか。
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大橋から上流は暗渠上の親水公園になっている。 水は落合水再生センターからの供給で、目黒川とは無関係の水である。 昔の目黒川はどこにもない。

『新編武蔵風土記稿』には、「大橋、目黒川に架す。土橋にて長さ七間、幅九尺、此の橋の傍らに水車在り。文化年中、村民勘右衛門と云う者願い上げて作れり。」とある。したがって江戸時代は川幅(橋長)12.7m、道幅2.7mの土でできた橋だったということになる。 洪水の度に流されて付け替えられたのだろう。 また水車は大正時代まであったようだ。

この大橋がちゃんとした鋼橋になった記録は昭和に入ってからである。 となるとそれ以前の明治40年に三軒茶屋まで玉電が開通した時はどうやって目黒川を渡していたのだろうか。 普通のコンクリート橋だったのだろうと考えている。

またこんな小さな橋を大橋と呼んだのは、かつての厚木街道の時代、大坂を下った先にある目黒川の橋は大坂の下の橋ということで大坂とセットで名付けられたという説がある。ただ 多摩川までの区間でもっとも大きな橋ではあっただろうから、地元の人々にとっては大橋だったのかもしれない。

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