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2019年2月26日 (火)

道玄坂地蔵尊と弘法湯碑(渋谷区円山町)

渋谷は俗の街である。 江戸時代から身分の高い者(武家など)は台地に住み、身分の低い者(町民など)は低地に住んだ。 とりわけ窪地や湿地の周りには岡場所(非公認の売春宿)が発達した。 おそらくは人間のもつ自然なものがそうさせるのだと思う。

上野や浅草は聖なるものに寄り添う俗だったが、渋谷は俗の吹き溜まりのような街として現代に至っている。 現在の駅の再開発をもってしてもおそらくは変わらないだろう。 そんな中で俗の斜面である円山町には幾多のラブホテルがある。 ところが聖なるものの傍に俗が集まるように、俗が集まった場所には聖なるものが出来ることもある。 その辺りはとても人間臭くて良い。

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ラブホテル街を神泉駅に向かって進むと路地裏に竹垣に囲まれた地蔵がある。 道玄坂地蔵尊と呼ばれている。 造立年は宝永3年(1706)で、当時は大山街道にあった。 場所は現在の地から一本表通りに出たところになる。 道玄坂上の交番の辺りだ。 当時は豊沢地蔵と呼ばれた。

明治時代までその場所は大山街道(厚木街道)と滝坂道の分岐点だった。 地蔵は戦後、現在の場所に移設された。 二度の火事で最初の地蔵本体は焼けてしまったが、その一部を今の地蔵の中に封じてあるそうだ。 焼けても滅しないので火伏地蔵とも呼ばれる。

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そしてこの場所は1997年に東電OL殺人事件のあった場所に近く、その被害者は裏家業でここに居たと言われているが、真偽のほどは分からない。 犯人とされたネパール人男性は後に冤罪が判明し釈放された。 しかし真犯人はいまだに分からない迷宮入りの事件である。警察の冤罪事件は相当数に上っているのに可視化が遅れているのは国民として恥ずかしい。

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地蔵から少し南西に行ったところに渋谷らしからぬ石塔がある。 明治19年(1886)に建てられた弘法湯碑(神泉湯碑)である。 ラブホテル街から神泉駅へは崖を下りるように階段が沢山ある。 かつては神泉谷(シンセンガヤツ)と呼ばれていた窪地で、豊富な湧水がありそれを利用した湯治の施設が出来た。江戸時代には旧豊沢村の共同湯となり、大山詣でや富士講登山をする旅人が利用した。明治になり昭和になっても銭湯は続いたが1976年に閉鎖、マンションに代わった。

ここから井の頭線踏切を越えて進んだところに温浴施設爆発事故(2007)松涛シエスパの場所がある。 道玄坂は昔も今もいろんなことが起こる場所である。

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