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2019年2月16日 (土)

目青不動尊 教学院(世田谷区太子堂)

東京の地名に目黒と目白があるが、江戸には江戸五色不動(府内五色不動)というものがあり、目黒は江戸以前から目黒だったので、由来ではないが、目白の地名はそれに由来するという説がある。五色不動とは、目黒、目白、目赤、目青、目黄の五つ。 寛永年間(1624~1643)に三代将軍徳川家光が上野寛永寺の天海大僧正の勧めで指定したと伝えられる。 江戸幕府は様々な結界に寺院を置いており、その中の一群が五色不動。

目黒はもちろん目黒不動、目白はもとは椿山荘近くにあった目白不動が今は宿坂の金乗院に移設されている。 目赤は本駒込の南谷寺、目青不動が三軒茶屋駅近くのこの教学院最勝寺である。 目黄不動は二つあり、江戸川区平井の最勝寺と台東区三ノ輪の永久寺だが、これらで江戸城をぐるっと囲むように配置されている。

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目青不動は三軒茶屋の世田谷線の駅わきの踏切の北側の側道を数十m西進すると入口になる。 目青不動は明治の初期まで麻布谷町(現在のアークヒルズ裏あたり)の観行寺にあったが、明治15年(1882)に青山の教学院に移された。 現在でいうと青山通りと外苑西通りの交差点近くである。 その後明治41年(1908)、教学院が青山から太子堂に移転になったため、目青不動も現在の地に移転した。 もちろん江戸城からの方向はほとんど変わっていない。

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仏像は、大きく分けて4つに分類される。 「如来」「菩薩」「明王」「天部」である。「如来」は苦行して悟りを開いた釈迦の姿を現し、「菩薩」は如来の境地に至ろうと努力している姿、「明王」は如来の化身で、「天部」は釈迦の家来がモデルと言われる。

不動明王は大日如来の化身で、火中から子供を救い出そうとしている親の必死の形相で、怖い顔だがよく見ると目が潤んでいるといわれる。背には火炎が伸びており、戦闘能力は相当高そうに見える。 撮影はできなかったが、拝顔すると右手に剣を立て鬼かと思うような形相である。

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教学院最勝寺の門前には3基の馬頭観音がある。 これらはどれも大正期以降のもので、よく読むと軍馬を弔っている。 そういえば三軒茶屋から池尻大橋にかけては北も南も長い間軍の施設だった。 この馬頭観音はその中でも近衛大隊の馬のもの。 ちょうど今の駒場東邦高校と筑波大学付属駒場高校の敷地に近衛大隊があった。

その他境内には元禄時代の仏塔などがあるが、本堂の教学院最勝寺は慶長9年(1604)に現在の皇居内に創建、後に赤坂TBS裏、青山と移転している。 目青不動尊を境内に配するようになったのは麻布谷町の観行寺が廃寺となったためだった。 それだけ古い寺なので、江戸時代中期のものがあるのだろう。

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