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2019年3月11日 (月)

桜丘1丁目庚申塔(世田谷区桜丘)

我が家の近所の庚申塔。 昔からなぜこんなところにこんな石塔があるのだろうと思っていたが、20年余り前に長男の夏の課題で地元のことを調べるというのに付き合って初めて庚申塔というものだと知った。この時にいろいろ調べたことが今の自分に繋がっている感がある。

東京農業大学の裏手には東西に走る二本の古道がある。大昔は府中道と呼ばれた道である。 またここには南北に走る用賀二子道という古道があり、この場所はその辻になっていた。 この用賀二子道は関東大震災後に陸軍自動車学校が出来て消滅し、後にその敷地が現在の東京農業大学のキャンパスになった。

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台座は後に設置された大きなもので、合わせると2mほどの高さがある。道標も兼ねているので情報量満載の庚申塔になっている。 上部には青面金剛像、下半分は願主の名前と共に「西 府中道四里」とある。実際に府中の武蔵国府跡までの道のりは16㎞程である。

また裏面には「東青山道 二里半」、南面には「南大山道 二子川迄一里余」、北面には「四ツ谷道二里半余」とある。 東は世田谷ボロ市通りを経て三軒茶屋で大山道に合流し青山一丁目まで10㎞、南二子玉川は4.3㎞と正確な道のりが刻まれている。 北の四ツ谷道も羽根木から甲州街道に出て四谷まで11㎞だから感心する。

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造立は安永7年(1779)だから庚申塔としてはそれほど古いものではないが、ずっとこの古道の辻にあったのだろうか傷みは激しい。文字刻の下には三猿が小さく描かれている。地元の古老の話では、この庚申塔から南側への道は大正5年まであったという。

Photo
大正期の地図の中央下にこの庚申塔がある。 南に下ると現在の世田谷通りで登戸道と出合ったのち品川用水を渡り(北沢橋)、用賀方面に向かっている。現在でも周辺は江戸時代からの道がたくさん残っていて、それと新しい道がうまくリンクしていないので、世田谷はタクシードライバーでも迷うというのはあながち大げさではない。

ただ、古道の道筋を理解すると、全体の道のつながりがすっきりとわかるのもまた面白い。

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