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2019年3月10日 (日)

北沢4丁目三田用水脇の庚申塔群(世田谷区北沢)

三田用水は笹塚駅の南で玉川上水から分水されていた。 しばらく玉川上水と並んで流れた後、井の頭通りの大山交差点近くで南に流れを変え、現在の都道420号線沿いに渋谷区神泉に向かって流下していた。 その大山交差点のすぐ南に、かつての三田用水跡が都道に合流する地点に庚申堂がある。

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草が伸びまくっているが定期的に地元の方が草木を剪定しておられるので、これだけ生い茂っている時期は多くない。 真ん中を突っ込んでいくと、草の後ろは空間があり、「やきとりこん平」の看板の屋根の下に4基の野仏が並んでいる。

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左端は如意輪観音座像、造立は貞享3年(1686)と保存状態に比べて時代が古い。 その右側の地蔵立像の方が左肩が欠けていて石の感じも古そうだが年代は書かれていなかった。真ん中の小さな石塔には「祖関禅定門」とあり年号は書かれていないが、禅定門というのは江戸時代の戒名によく使われた表現らしく、墓石の一部かもしれない。

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更に右側に目を向けると、右の2基は庚申塔である。 一番右のものは唐破風笠付角柱の文字刻みの庚申塔で天和元年(1681)の造立。 年代からしてこれもなかなかきれいな状態で残されている。

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右から二番目の青面金剛像と三猿の庚申塔が一番状態がよさそうに見えたが、貞享元年(1684)と他のものに遜色のない古さであった。 彫られた名前にはこの近所にお住まいの同姓の方と同じ苗字があり、ご先祖かもなどど想像してしまった。

この庚申堂の西側をかつては三田用水が流れていたことは前述したが、現在でもこの通りが渋谷区と世田谷区の区境になっている。しかも、この場所は代田橋から玉川上水の南側を経てきた世田谷村の村道と東の代々幡村から玉川上水沿いに走ってきた村道の合流地点でもあった。 野仏がいつからここにあるかは分からないが、道の辻、村の境という条件で、まさにここにないはずはないという地点なのである。

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