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2019年3月 4日 (月)

三田用水の石橋供養塔(目黒区青葉台)

東京で有名な江戸時代の用水と言えば玉川用水だが、その玉川用水を笹塚駅南で分水して白金までは開渠、それ以降三田(泉岳寺付近)までは伏樋で水を送った用水路が三田用水である。1664年に開削され、1974年に完全廃止された。 用水だから尾根筋を流れる。 東北沢から東大キャンパス北側を流れた後、道玄坂上を南下して西郷山から代官山へ流れる途中、滝坂道のために架けられた石橋があった。

 

Photo
地図の左の青線は駒場野から流れる空川で谷筋を流下、しかし右の青線の三田用水は尾根を流れているのが分かる。 現在の石橋供養塔があるマンションの住民が供養塔を守ってきたので、赤い★の場所に供養塔がある。

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供養塔が造立されたのは文化9年(1812)である。下部には、中目黒村、白金村、北品川村など13か村の名が刻まれ、右側には滝坂道沿いの若林村、経堂村、上祖師谷村などの地名が彫られている。 当時の石橋は、水が出るたびに流される木橋から飛躍的な安全性を目的に大変な費用を使って築かれた。

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旧山手通りから、旧滝坂道を見ると上り坂になっておりその先で急に下り坂になる。 この尾根部分が三田用水の痕跡である。 ここに石橋があった。 もともと灌漑用水だった三田用水の恩恵によって恵比寿にビール工場ができたり、中目黒付近に海軍の火薬工場が出来たりした。

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駒場から青葉台にかけては、三田用水の痕跡の細道が比較的明確に残っている。 なおかつ渋谷区と目黒区の区境にもなっていて痕跡を追いやすいのだが、恵比寿付近まで行くと極めて分かりにくくなる。 上の写真の辻がまさに石橋があった場所である。

Webページ上でこの石橋供養塔が松見坂下の遠江橋にあったとする説が多いが、ここでは目黒区教育委員会説と地元の方の話から、三田用水の石橋と断定した。

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