経堂駅近くの地蔵(世田谷区経堂)
小田急線経堂駅の西北側にはお地蔵さんが2体ある。 かつて経堂駅は小田急線の車両車庫が広がる基地駅だった。 1970年代に入って駅の北口に14階建の小田急経堂ビルが建ち、当時は世田谷にはほとんどビルがない中で、富士山のように独立峰の姿を誇っていた。
広い車両基地の敷地は現在小田急のプロジェクトで次々に中層のビルに代わっている。 そんな激変の経堂駅北口のコルティ(駅ビル)の傍に地蔵が立っている。 駐車場入り口の向かい側、コンビニの角の一角の奥まった植込みにあるのは子育地蔵。
年代は比較的新しいようだが、中に入れないので台座の文字などは読むことができない。また区の石仏調査の資料にも出てこないので、詳細は不明である。 小田急が高架化する以前、経堂駅には新宿側の開かずの踏切と共に、それより多少開きやすい踏切が地蔵の前にあった。 なので当初は踏切地蔵かと思っていたが、どうも子育地蔵らしい。

コルティ前の地蔵からそのまま西へ向かいすぐに斜めに分岐した道に入るとその先でまた斜めに分岐する地点、自転車店の角にまた子育地蔵がある。 ここは経堂在家村で南北に分かれた滝坂道の南側のルートが北に向きを変えて、北ルートに近づく分岐点。江戸時代からの分れ道である。

堂宇は施錠はされていないが、閂が掛けられていて、さすがに開けて撮影するほど大胆ではないので格子越しに撮影した。 この地蔵は造立がはっきりしている。 正徳5年(1715)に建てられたもの。 当時の経堂在家村の地蔵信仰の講中48人が村のこどもの将来を祈って造立した記録がある。当時の地名は武蔵国荏原郡世田谷領経堂在家村。経堂の地名については福昌寺の経堂(お経を納めたお堂)説が有力だが、在家の方は出家の意味を表し、当時この地を治めていた松原氏が敷地内に寺を建立し仏教を信仰していたことから、家にいるまま仏教に帰依したという意味合いの在家らしい。
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