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2019年3月 4日 (月)

経堂農大通りの庚申塔(世田谷区経堂)

東京農業大学の最寄駅は経堂駅となっているが、千歳船橋駅の方が実は徒歩3分ほど近い。 それでも農大祭りは経堂駅の南に延びる農大通りで行われ、大根踊りが有名である。この経堂農大通りは実はとても古い道。 現在の経堂駅周辺でかつての滝坂道は南北に二つのルートがあった。 北側がメインルートだが、北側には人が住んでおらず、南側には民家があって便利だったのだろう。この南ルートから厚木街道の用賀に繋がる道があった。 その辻に道標を兼ねた庚申塔が立っており、現在も大切に守られている。

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場所は世田谷区経堂1-12-5。 農大通りはここでわずかに南北の道がオフセットされている。南から来るとこの庚申塔が正面になるのである。 これは北側の道が後に出来たことを表している。 江戸時代は福昌寺に繋がる脇道だった。

南へ伸びる用賀への道は、現在の東京農大キャンパスの真ん中を南北に走り、さらに馬事公苑の真ん中を突っ切っていた。 今でも庚申塔や品川用水の橋の痕跡などが残る。

Cimg1987
庚申塔の造立は文化9年(1826)である。青面金剛像の下に三猿が彫られている。その下には、正面に南二子道、東側に青山道、西側にふちうミち(府中道)とある。渋谷の道玄坂上で厚木街道と滝坂道が分かれてからちょうど一里半(6㎞)の位置になる。 この辺りで小休止をする人もいたことだろう。

経堂在家村は元禄時代から幕末まで天領として幕府の直轄地だった。 石高はあるものの人口は少なかった。 村の寺は福昌寺だが、鎮守はかなり西に離れた天祖神社。

経堂の地名の由来は面白い。 福昌寺は江戸時代の初期の開山だが、当時この土地を所有していたのは松原弥右衛門という人で、彼が僧を迎えて開基したのが福昌寺と言われる。 この松原弥右衛門は幕府の御殿医(お抱え医者)として中国から帰化した人物で、書物を沢山持っていた。 当時の人々は読み書きができなかったので、本=お経と思い込んでおり、松原弥右衛門が屋敷内にお堂を建てて書物を保管していたので、近くの人々はこれを経堂と呼ぶようになり、それが地名になった。(諸説あり)

経堂から千歳船橋周辺には松原姓が極めて多いが、この松原弥右衛門の関係者が大半である。

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