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2019年3月28日 (木)

若林天満宮と若林稲荷神社(世田谷区若林)

世田谷区若林の地名の由来は、烏山川流域の新田(田んぼ)に由来するという説がある。環七を走ると、世田谷通りから下りになり、東急世田谷線を過ぎると上りになる。 その先若林陸橋を越えると再び下りになる。これは烏山川の谷を越え、滝坂道の尾根に登り、北沢川に向かって再び下る地形の痕跡である。なので若林は南北を断面にするとU字型の地形をしている。Cimg2050世田谷通り(登戸道)から谷を下ったところに若林天満宮がある。正式名称は若林北野神社。環七沿いにひっそりと鎮座している小さな神社だが、創建は相当古い。 応永8年(1401)にはここにあった記録があるので、鎌倉から室町時代の創建だろう。環七が出来る前はここに若林村の主要な村道が南北に走っていた。北野神社の北側にある若林橋と松蔭神社近くの松蔭橋が烏山川を渡る数少ない橋だった。Cimg2052 社殿はこじんまりとしていて境内は狭い。これは環七によってかなり削られたためである。川の南北に集落のあった若林村の南の守り神だったのだろう。若林村の中心(本村)は川の北側である。橋を渡った先には大正時代まで水車もあった。この水車のところから東へ向かって用水路が開かれ(大正時代まで存在)、その用水路沿いの道から北の斜面を上ったところが若林稲荷神社であった。Cimg2074 参道下から急に崖を登るような階段になっている。 神社は崖の斜面に開かれた。 この稲荷は正式には福寿稲荷神社というが、社殿の扁額には稲荷神社・天祖神社と並んで記されている。創建は江戸時代の初期から中期にかけて、おそらく新田が烏山川沿いに開発され、民家ができるようになってから建てられたのではないだろうか。Cimg2083 こちらの境内はまずまずの広さ。明治時代は樹木の鬱蒼とした林の中の神社だった。昭和20年に戦災で境内が焼け、現在はきれいな社殿が建てられている。 もともとは若林には若林鎮守三社といって北野神社、天祖神社、稲荷神社があり、お祭りなどは持ち回りで三社合同で行われてきた。(現在はこの福寿稲荷神社の祭りに統合されている)

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