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2019年4月 1日 (月)

森厳寺(世田谷区代沢)

下北沢村は室町時代開墾当時は民家が3軒しかない野原だった。大正期まで代沢の一角の小字に三軒家という地名があった。世田谷城主吉良家の家臣膳場氏が土着し開墾したと伝えられる。 今では若者が原宿並みに集まるエリアになっているが、昔は閑村だったのだ。 その代沢に森厳寺が開山されたのは慶長13年(1608)。徳川家康の次男秀康の位牌所として建てられた寺である。Cimg2101山門は意外にも質素な造り。 この寺の開基とされる徳川家康の次男結城秀康は家康と於万の方の子で、於万の方は正室築山殿の女中だった。兄が亡くなり本来ならば徳川家を継ぐ立場だったが、戦略上小牧長久手の戦いの和解条件として、秀康は10歳で豊臣家に養子に出されてしまう。その後、豊臣秀吉に実子が誕生すると、婚姻で茨城県下総国結城家の家督を継ぎ、徳川家の下で戦乱を戦った。上杉景勝の牽制に成果を上げ、関ケ原の合戦後越前67万石の藩主となるも、34歳で他界した。その時の遺言で江戸の地に一寺を建立し位牌所とするよう願ったのが、秀康の死後森厳寺となって具現化された。Cimg2104森厳寺の本堂は意外に質素で、二度の火災に遭い、現在のものは昭和39年(1964)に建てられたものである。山門と本堂の間に2本の大銀杏がある。 この銀杏は開山当時からある樹齢400年の古木で、世田谷区の保存樹木というだけではもったいないくらいだ。 境内のレイアウトはこの銀杏を中心に造られているという。Cimg2102銀杏の木の傍には淡島の灸で名をはせた淡島堂がある。境内に勧請された淡島明神でのお灸が人々の間に「淡島の灸」として広まり流行、お灸をしてもらうために二日三日も順番を待つほどだったという。『江戸名所図会』にも描かれている。現在も最初の写真にあるように、山門に淡島の灸の木札が取り付けてある。境内にはその他、不動閻魔堂、針塚、弁財天などがある。Cimg2108上の写真は淡島堂。灸と針供養で有名なお堂で、この建物は境内内で最も古いもので、天保7年(1876)築。裏手の墓所には昔、富士塚があったが、現在は東隣にある北沢八幡宮に移設されている。この富士塚の調査は今世紀に入ってから本格的に行われ、森厳寺富士塚と呼ばれたが、実はただの盛土でできた山で富士塚ではないという研究結果も報告されている。そうすると北沢八幡宮の境内にある溶岩でつくられた富士塚は一体何だということになる。その辺は民間信仰でもあり、あまりこだわりすぎても面白くないし正しくない。 若干のミステリーがあるくらいで丁度いいのではないかと思う。

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