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2019年4月25日 (木)

駒留八幡神社(世田谷区上馬)

常盤塚のところでも書いた駒留八幡神社。(常盤塚のページ)現在の住所は上馬だが、上馬、下馬というのは省略された地名。 江戸時代の初め頃は馬引沢村という一つの村だった。天正18年(1590)に徳川家康が江戸入城すると村は徳川氏の直轄地となった(後に井伊家・大久保家に拝領)。寛永年間(1624~1643)に村は上馬引沢村と下馬引沢村に分割。さらに上馬引沢村から中馬引沢村が分かれた。もっともそれ以前から村は上郷、中郷、下郷という三地区で成り立っていたという。ちなみに江戸時代の馬引沢村は三軒茶屋から駒沢までの広い村だった。

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駒留八幡神社は鎌倉時代の徳治3年(1308)の創建。駒留というのは馬が止まる意味で、地頭であった北条左近太郎が八幡宮を勧請しようとして馬を放ち留まったところを鎮座の地とすると馬がここで留まったという伝説による。またこの神社は常盤姫の悲話と関連が深い。

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常盤姫伝説というのは現在ではほぼ創作話だろうということになっているが、何百年もの間土地の人々が信じてきた物語である。常盤の身体に身籠っていた胎児の霊を吉良氏がこの神社に祀ったことから、若宮八幡とも呼ばれる。

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境内の奥には厳島神社の社があり、ここに常盤弁天が祀られている。その傍には常盤橋と彫られた橋の欄干が無造作に置かれている。本物かどうかは分からないが、暗渠を歩いていると稀に同じタイプの古い欄干を目にすることがあるので、あながち否定はできない。

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境内に1基だけ古い角柱型の庚申塔があった。女塚社の後ろにひっそりと立っているが、造立年は天和3年(1683)と古いもの。正面は青面金剛像と二猿、右側面と左側面にそれぞれ一猿というレアなタイプである。

場所  東京都世田谷区上馬5丁目35

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