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2019年4月27日 (土)

池尻稲荷神社(世田谷区池尻)

池尻稲荷神社は池尻大橋と三軒茶屋の間、玉電時代は池尻電停のすぐ目前の場所にある。現在の田園都市線が開通したのは昭和52年(1977)だから私が上京した翌年である。昔の玉電の駅(電停)は渋谷、道玄坂上、大坂上、大橋、池尻、三宿、太子堂、三軒茶屋と駅間は近かった。 しかし玉電の記憶は残念ながらない。というのも玉電は昭和44年(1969)に廃線になっていたからで、記憶では渋谷から二子玉川に行くのに自由が丘経由で不便だということと、まだ二子玉川園があったことだろうか(昭和60年(1985)閉園)。

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玉電が開通したのは明治40年(1907)で、それまでは裏を走る大山街道側が入口だった。玉電の電停が出来てから、現在のように国道246号側が玄関のようになった。従って社殿は大山街道側から入る方が表参道になっている。池尻稲荷神社の創建は明暦年間(1655~1657)、江戸時代初期である。しかし昭和の初め頃までは地域の小さな産土神に過ぎなかった。大きくなったのは昭和になってからである。

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神社の渋谷側には古い川の痕跡が残っている。大山街道裏手から流れて数百mで目黒川沿いの湿地帯に流出していたと思われる沢である。しかしこの沢のお陰だろうか、神社の手水舎の水は「薬水の井戸」と呼ばれ、いかなる時も枯れることのない井戸として昔から大切にされてきた。街道筋の名水となれば神社があっても不思議はない。

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しかしこの水路が水線だったのは江戸時代末期あたりまでで、それにもかかわらず今にまでこの暗渠でございます!という痕跡が残っているのは何故なのだろう。ただ大半は自転車の放置場所になってしまっている。

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こちらが大山街道側の入口である。やはり旧街道というのは歩いて楽しいものがある。入口に在るカゴメカゴメの子供の銅像は創作モノだが、昔はこんな風に奉公の子供たちがちょっと水汲みついでに遊んでたのかな?などとイメージが湧く。枯れずの井戸は現在、地下水をポンプで汲み上げているが、これは東京に関しては致し方ない。おそらく明治大正期から比べると湧水は数十分の一に減少しているはずである。何しろ、コンクリートとアスファルトで覆われた台地と、地下開発のために、かろうじて残った湧水は宝石並みの価値がある。

場所  東京都世田谷区池尻2丁目34-15

 

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