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2019年4月16日 (火)

目黒の切支丹燈籠(目黒区下目黒)

目黒区の寺社を歩いていて面白いものに出合った。切支丹燈籠である。最初に禁教令(バテレン追放令)をを発したのは、天正15年(1587)の豊臣秀吉だった。ただしまだ取り締まりは緩かったようである。江戸時代徳川の世になり、最初は不況は黙認されていたが、慶長17年(1612)になると幕府は江戸・京都・静岡での布教を禁止、ここから10年くらいの間でかなりの迫害が行われた。それでもこっそりと信仰をするものもいて、燈籠の竿(柱)にキリスト教の像らしきものが彫られた切支丹燈籠が作られた。東京都内で十数基のみという希少なものだが、大鳥神社とその別当寺大聖院に4基がある。

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大聖院の入口にあるのが3基の切支丹燈籠。これらは織部式燈籠とも呼ばれる。もとは権之助坂の上にある三田千代が崎にあった旧島原藩松平主殿守の下屋敷(後に大村伯邸となる)の林の中の小祠内にあったが、大正15年(1925)にここへ移された。これらは徳川幕府の弾圧を受けた隠れキリシタンが庭園の祠に礼拝物として密かに隠しておいたものだと言われている。とてもレアなものなのである。

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旧島原藩松平家の下屋敷は地図の右上、朱線を引いた部分である。そして大鳥神社と大聖院は左下の朱で囲んだ部分。目黒のこの崖線には島原藩の他、現在の雅叙園周辺を熊本の細川家、上の古地図の中央の緑部分は後の時代には久留米藩の下屋敷となっており、九州の大名の下屋敷がここに集まっているのは何か切支丹との関係があるのだろうか、などと想像してしまう。

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大鳥神社にはもっと燈籠っぽい形の切支丹燈籠がある。これも同じく島原藩屋敷にあったものらしい。時代はキリシタン弾圧が激化した、寛永(1624~1644)・正法(1644~1648)・慶安(1648~1652)から江戸初期~中期にかけて造られたものと推定されている。品川駅からプリンスホテル脇の柘榴坂を上ると、坂上には江戸の殉教者顕彰碑がある。「江戸の大殉教」と言われ、1623年に徳川家光によって、外国人宣教師を含む50人を市中引き回しの上、高輪の丘で火あぶりの刑にした。それに続いて女子供の区別なく、タレコミなどでばれると処刑され、江戸全体では2000人が殺されたという惨い事件である。

大聖院  東京都目黒区下目黒3丁目1−3

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