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2019年4月11日 (木)

目黒川架橋勢至菩薩石像(目黒区下目黒)

行人坂を下ったところにある目黒川に架かる橋は太鼓橋というが、現在は何の味気もない普通の橋。 しかし江戸時代は魅力的なアーチ石橋で、これを渡って人々は目黒不動参りに行った。「太鼓橋」というテーマで過去に記載した通りである。 太鼓橋に下る行人坂の途中に江戸三大火事の行人坂火事の火元である大円寺がある。

この火事は別名明和の大火とも呼ばれ、明和9年2月29日に放火により大円寺から出火した火事は、南西からの風にあおられ、麻布・京橋・日本橋を襲い、武家屋敷を焼き尽くし、神田・千住まで広がった。死者は14,700人、行方不明は4,000人を超えた災害だった。被害規模としては明暦の大火に次ぐ大火事である。

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大円寺の坂上(実際は大円寺の敷地らしい)に勢至堂がある。中には目黒川架橋勢至菩薩石造が祀られている。造立年は宝永元年(1704)で、菩薩像自体は52㎝程の高さだが蓮座、台座を含めると169㎝になる。なかなか立派なお堂で、後ろの壁の上部には板書きが掲げられている。板書きには勢至堂菩薩の延喜が延々と書かれている。

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台座にも同様の延喜が彫られている。要約すると、大円寺の名僧西運が目黒川に橋を架けるのに、目黒不動と浅草観音に毎日参詣し、その途中で人々の施しを受け、これを基に目黒川の両岸に石壁を造り、アーチ式の太鼓橋(石橋)を架けたとある。時代を遡った天和年間に火事の避難先の本郷駒込の円林寺で寺の若僧の吉三に恋をした八百屋お七が、避難から帰宅したのちも彼を忘れられず、火事になればまた会えると放火をして捕まり、市中引き回しの上鈴ヶ森刑場で火あぶりの刑に処せられてしまった。

この話は様々な方面で取り上げられ、中でも井原西鶴の『好色五人女』や数々の歌舞伎のお七シリーズが有名である。この吉三はお七の菩提を弔うために念仏を唱えながら諸国巡礼し、江戸にもどってからは目黒川の架橋を祈願して念仏行を続けたという。お七の事件は1670年代で、行人坂火事は1772年だから100年も時代が違うが、火事繋がりで江戸っ子にはウケたのだろう。

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堂宇の外にも新しめの石像が立っている(何の像かわからない)。菩薩とは、悟りの段階の高さで「天部」「明王」「菩薩」「如来」と上がっていく三番目の仏の姿である。菩薩のひとつである勢至菩薩は、阿弥陀如来の脇侍として観音菩薩と対になるように控える菩薩。菩薩にはいろんな種類があるが、例えば文殊菩薩は智慧、虚空蔵菩薩は記憶力など。 勢至菩薩は強い智慧で無知な衆生が地獄道・餓鬼道・畜生道に落ちないように救う役割を果たすものと信じられている。

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