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2019年4月12日 (金)

大円寺(目黒区下目黒)

目黒の行人坂にある大円寺については、これまで行人坂の項目や目黒川架橋供養製紙菩薩石像の項目でも書いたが、ここでは大円寺そのものについてというテーマでまとめてみたい。 行人坂は数ある東京の坂道の中でも代表格の坂だろう。 江戸時代は目黒不動への参詣道として江戸庶民ならだれもが知る坂道だった。

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天台宗松林山大円寺の由緒は、江戸の初期、元和年間(1615~1624)に山形湯殿山の行人、大海法印が建てた道場としての大日如来堂に始まると伝えられる。境内に入ると、真ん中の本堂を挟んで、右手に阿弥陀堂、左手に釈迦堂と3棟が並ぶ。右の阿弥陀堂には、弥陀三尊が祭られ、お七地蔵の木像も安置されているそうである。本堂は大黒天を祭り、山手七福神の一つとされている。釈迦堂には重要文化財である寺の本尊釈迦如来像が安置され年に数回のみ御開帳となる。

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境内で目立つのは向かって左手の崖の斜面一面に並ぶ五百羅漢の石像であろう。目の前に圧倒する五百羅漢はそれぞれに表情が異なり、いつまで見ていても飽きることがない。520体ほどあるというこの石仏は、行人坂火事の犠牲者の供養のために石工により50年をかけて造られたと伝えられている。江戸の街は焼けることを前提に造られた街だった。 それでもここで出火した火事が神田から千住までを焼き尽くすとは恐ろしいことである。昨今、磯田道史氏らの活躍で災害の歴史から学ぶ姿勢が進んでいるが、高層ビル化が進んでも意外と災害には脆いのではないかと思う。過去から学ぶ姿勢を忘れてはならないだろう。

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五百羅漢の手前に面白い地蔵がある。とろけ地蔵という。江戸時代品川沖で漁師の網にかかって出現された地蔵尊で、庶民の悩みを解消してくれるご利益があるという。この手の地蔵はしばしば幽霊地蔵として祀られることが多いが、ここでは見た目のままを表現した呼び名になっているのが面白い。脇には摩尼車(まにぐるま)という念仏車のピカピカの新品がある。1回回すとお経を一遍読んだのと同じご利益があるとされているが、これだけ新しいと疑問を感じるから不思議である。

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前述の寺の本尊である釈迦如来像だが、「旧国宝」の重要文化財となっていた。どう見ても格下げにあったように思えてしまうが、それについての説明は見当たらない。この本尊は、建久4年(1193)に造られた寄木造りの釈迦如来像で重文指定は昭和32年となっているから、国宝は戦前の話であろうか。

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