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2019年4月16日 (火)

蛸薬師成就院のお静地蔵(目黒区下目黒)

江戸時代の西の大行楽地目黒不動の参道に面して興味深いお寺がある。通称蛸薬師、天台宗成就院である。蛸薬師の呼び名は、本尊が三匹の蛸が支える蓮華座にのる薬師如来像であるため。開山は古く天安2年(858)慈覚大師によるものとされる。目黒不動も慈覚大師の開山と伝えられ、そちらの開山は大同3年(808)らしいから、成就院は50年遅れて開かれたことになる。慈覚大師(円仁)は794年~864年に生きた人なので、若くして目黒不動を開き、老いて成就院を開いたことになる。目黒不動は14歳の時だから、本当だろうかと考えてしまう。彼が最後の遣唐使として二度の失敗の後、唐に漂着したのが838年(30歳)と昔の偉人は早熟かつアクティブだったのかもしれない。

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境内は比較的こじんまりとしているが、見どころは満載。本尊の蓮華座の蛸も慈覚大師の遣唐使のエピソードを反映している。中でもお静地蔵は最も有名。お静というのは、徳川二代将軍秀忠の側室。彼女が我が子保科正之の栄達を祈念してお静地蔵を奉納したもの。保科正之は後に兄弟である三代将軍家光の計らいで、信州高遠城主、山形城主、会津藩城主と国替えをしながら最後は23万石の殿様となった。

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地蔵は普通六地蔵なのだが、ここは7体。真ん中の一段と高いのが阿弥陀如来。あとは右側に観音が3体(十一面観音、聖観音、准胝(ジュンチ)観音)、左の3体は地蔵(金剛願地蔵、金剛幡地蔵、金剛宝地蔵)。年代は不詳だが、お静の方の奉納ということから江戸時代初期ではないかと思われる。お静の方は秀忠の寵愛を受けて子供を授かることを祈願して、まず右の観音像3体を奉納、めでたく男子が産まれると、左の地蔵3体をを奉納したという。後にその子が保科正之として大名になると、真ん中の阿弥陀如来像を大願成就として奉納した。

 

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