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2019年4月16日 (火)

蟠龍寺の石仏たち(目黒区下目黒)

山手通り沿いに参道があるお寺。特に立派な山門があるわけではないので見落としがちだが、山手七福神の弁財天を祭る寺である。門からは車も人と一緒に侵入する。入口の石柱には、「岩屋辨天」と彫られているが、それは山手七福神の弁財天のこと。

蟠龍寺は慶安元年(1648)に称明院として行人坂近くに開かれ、後の宝永6年(1709)に増上寺の僧が称明院蟠龍寺として現在地に改名再建した。江戸時代から大鳥神社から目黒不動への道すがらにあり、参詣者も多かっただろう。

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山手通りから門をくぐり少し進むと数段の石段、その脇にこじんまりと佇むお地蔵さんは荷葉地蔵。造立は元禄11年(1698)。台座の下に過度の丸い石があり、その下の台座が六角形で、上面に荷葉(蓮の葉)がの彫刻が付いているために荷葉地蔵と呼ばれる。

そのまま奥の本堂手前まで進むと、いかにも寺院の庭という雰囲気の池があり、その裏手におしろい地蔵と呼ばれる地蔵が堂宇に守られている。(堂宇は最近作られたものらしい)

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この地蔵は、関東大震災で被災をしたため、浅草からここに移されたもの。顔が欠けているお地蔵様だが、その昔、顔に痘痕(あばた)のある娘が、そのために人並みの結婚が出来ず悩んでいた。ところがこのお地蔵様に願掛けをしたところ痘痕が消え、幸せな生涯を送ることができたという。

江戸時代には歌舞伎役者がおしろいに含まれる鉛の害に苦しみ、おしろいをお地蔵様の顔に付けて願を掛けたと言われ、その風習が現在まで続いている。顔だけでは幸せになれないもので、逆にそのことを諭しているという理解の方が教えらしい気がするが。

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さらに奥の本堂裏手に進むと洞窟があり、窟屋弁天が祀られている。これが山手七福神のひとつ。もっとおどろおどろしい洞窟かと思ったが、綺麗で明るい洞にちょっと落胆。弁財天だけに境内の池が関係しているのだろうかと思い調べたが明確な資料はなかった。ただ、目黒不動の湧水や羅漢寺川跡の湧水など、目黒川右岸にはいくつかの湧水や湧水跡があり、「日本地下水学会」の資料には蟠龍寺の湧水という記述もあったので、元々はここに湧水があり、それで弁財天が置かれたと思われる。

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蟠龍寺の境内にはあちこちに年代物の石仏がある。本堂前にポツンと置かれている上の地蔵尊は彫られた文字を読んでみると、寛文13年(1673)とある。寛文年間は9月21日に延宝に年号が変わっているからその年の前半だろう。

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また草むらにぽつんと置かれていたこの石仏は、貞享年間(1684~1688)。これ以外にも300年超えの石仏があちこちに置かれている。寺の説明板には境内には元禄11年(1698)の地蔵尊があると書かれているが、それ以前のものもいくつも存在する。1709年にここに移転してきたときに周囲から集められたものなのか、それ以降にここに移されたものなのかはわからない。

しかし石仏をじっと眺めている不審人物にうつりはしないか一抹の不安を持ちながら、それでも眺めていると結構なタイムスリップができるのである。ちなみに蟠龍寺は江戸名所図会にも描かれていて、それは ⇒こちら。

 

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