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2019年4月 3日 (水)

北沢庚申堂(世田谷区北沢)

下北沢は昨今、駅の地下化で行くたびに街が大変貌している。3ヶ月行かないと変わっているほどの急激な変化である。しかし、駅から少し離れると意外に多くの野仏が残っている。これは昭和からの街の変貌を知る者にとっては驚異的ともいえる奇跡である。戦後の焼け野原から闇市などで復興してきた下北沢。 私がここを本拠地にしていたのは1970年代後半で、ビルもせいぜい3階どまりの時代。開かずの踏切前には、バックスバニーでヴォーカルをしていた金子まりさんの実家の葬儀屋。その向かいには太陽神戸銀行。開かずの踏切を渡って北口に行くと戦後バラックに好き勝手に店が開かれていた。Cimg2127 一方の南口商店街はかつての下北沢本村への道に開かれた商店街。 その出口に北沢庚申堂がある。 この庚申堂の前に餃子の王将があるが、そこは昔、北沢湯という銭湯だった。その上のマンションに当時住んでいたのが、金子まりさんと同時期に人気だったロッカーに変貌したカルメン・マキ。もう少し道を下っていくと下北沢ロフトがあり、シュガーベイブ(山下達郎・大貫妙子ら)がしばしばライブをしていた。Cimg2133  昭和時代のこの街はそんな若者のエネルギーに満ち満ちた熱い街だった。 もちろんこの庚申堂はその頃からここにあったし、それまでもずっとここにあったはず。浮かれて徘徊する自分をこの庚申様は見ていたのだと、今になって思う。堂宇は立派なもので、注連縄があり、その下には北沢庚申堂と書かれた扁額もある。ただ迷惑行為の絶えない街なのできちんと施錠はしてある。Cimg2132 この堂宇の中の庚申塔だが、私が庚申塔に興味を持って巡り始めた中でも極めて珍しいタイプのものである。 燈籠型というのだろうか、赤い布の下は数段の宝塔のようになっているが、どちらかというと登山道に積んであるケルンのようで、平たい石を重ねてある。区の古い資料によると、元禄・享保の頃、道標として重宝がられ、道中の安全を祈るものだったという。造立年は不明だが、元禄だとすると1688年~1703年、享保だとすると1716年~1735年、どうしてその間の宝永年間や正徳年間でないのかが気になるが、300年程度ここにあるのは間違いない。 堂宇脇の石柱が気になったが一体何なのかは不明。ただしこの石柱も昭和時代からここに同じようにあり続けている。

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